花とウタ

オアシスを夢想

colorless light 前編

少女の鮮やかな夢を喰らう獏、というのが僕の本質であるので。
夜が来るとそっといろんな人間のユメを渡り歩く。楽しいユメ、嬉しいユメ、悲しいユメ、つらいユメ、様々な形で様々な色をしたユメがあるけれど僕がまず求めるのは悪夢だ。悪夢を見ている少女を見つけたら彼女と約束を交わし、最後にはその瞳から鮮やかな夢を奪う獏。それが僕だ。そうすることでやっと見れる少女の顔は、白黒の世界に堕ちる様は、無残で滑稽で、それでいてうつくしい。満月の光だけをスポットライトにする麗しきレイトショー、その唯一の観客は僕だ。僕が求めるのは悪夢ではあるが、悪夢そのものに価値があるのではない。悪夢などこのショーのチケットに過ぎない。
そうは言っても悪夢に行き当たらない夜もある。今宵はまさにそれで、見つけるユメは皆幸せに満ちたものだった。誰かに愛されるユメ誰かを愛するユメ、満たされた顔で笑う人が出てくるユメは甘く悪夢には程遠い。小腹の足し程度にはなるのだけど。ユメの端を少しずついただいて行きながら、とんとんとユメからユメへと渡っていく。どのユメも甘美で舌触りが良い。一番は鮮やかな夢を喰うことだが単に甘いユメをつまんでいくのも悪くはない。次の夢はどんなだろうか、と思いながら渡った先のユメの一片を口の中に運んだ。

「……なんだこれ」

妙な味がした。確かにそのユメは甘かったのに、味が濃くて、どこかからい。いや、からさの方が勝るだろうか? 甘みの強い部分とからさの強い部分がある。二つの味が混ざっているがぶつかり合う感じはしない。不思議な味だがとにかく濃厚だ。これは、悪夢、なのだろうか。じっとユメの中で目を凝らすがユメの映像がはっきりしない。こういうことは稀にだがあるものだ。仕方がないのでユメから降り、現実の方から主のことを探すことにする。
主は窓際のベッドで穏やかな顔をして眠っていた。少女か少年か。ブランケットに阻まれて顔つきや体型は見えないが、ユメの舌触りがやわらかであることからして少女だろう。そうあたりをつけてもう一度少女をよく観察する。寝返りも打たず身じろぎさえせず丸まっている。とても静かだ。ごくりとユメと一緒に唾液を飲み下した。少女がうなされているとは到底思えないが、飲み下した今でも舌先に残るからさが気になる。月に一度のショーの幕開けを予感する。悪夢ではないかもしれない、けれど悪夢になりうるだろう。ならばこの手で悪夢を作り上げれば良い。逃さない手はない。
ユメから降り、ベッドに腰掛ける。少女は起きない。顔にかかった髪をそっと払い、まぶたのあたりに口づける。

「約束しよう、お嬢さん」

また明晩、ここに来よう。


 ○


こん、とドアを一度だけノックする。口にするべきことは考えていた。といっても毎月のことだ、同じ台本の同じ台詞を同じ身振りで言ってのけることに失敗するアクターがどこにいるだろう。夜分に失礼、とシルクハットを掲げ、あとはステッキを振れば良い。そうすればトリックは仕掛けられ、マジックショーの幕が開く。
ぎぃっと重い音を立ててその扉の陰から少女が姿を現す。

「……、初め、まして」

喉に言葉がひっかかったような、そんな間と息を飲む音を経て少女がぺこりと頭を下げた。
少女はパンツスタイルで髪を高く結わえ、どこか少年のような気配をまとっている。しかし大きな目と高めの声は少女のそれだ。ここはどちら様と言うべきではないだろうかと思う心をぐっと抑えてシルクハットを手に取る。その間、少女は僕をぼうっと眺めるようにしてずっとこちらを見ていた。

「夜分に失礼、お嬢さん」

掲げたハットを戻す。開幕の挨拶は済んだ。あとは魔法をかけるだけ——ステッキを手に地面をたたく、その瞬間少女の口が開いた。

「僕は、……いいえ寒いでしょう、入ってください」

思わずステッキを振る手を止める。前半の言い淀みはなんだろう。知り合いにも自分のことを僕という女の子はいるがこの少女もそういった類だろうか。出来てしまった奇妙な間を誤魔化すように微笑んで、身をひるがえし奥へと入っていく少女に倣って家に上がる。行き場をなくしたステッキはそっと玄関先に立てハットを側のコートハンガーに掛けた。
ステッキで少女の心に少しの魔法をかけるつもりだった。そう、少しの魔法で良かった。ほんの少しの心の隙間を作って、僕の存在を少女に許させるだけで良い。あとは自分でユメを喰らい、ユメを魅せればショーのクライマックスは訪れる。その最初の一手を少女は跳ね飛ばし自ら僕を招き入れたのだ。不思議なユメの味を思い出す。この少女はいったい何を夢見ているのだろう。

リビングに通され、布を被った大きな家具を正面に見据える席を引かれた。ベッド側の席にはストールが投げかけられており、先ほどまで少女が座っていたと判る。目前の二枝の燭台には一本しかろうそくが差されていない。背後でことんと軽い音が聞こえたかと思うと暖炉の中で細い炭が崩れ落ちたところだった。静かで暗い。ひとりで暮らすには広すぎるのか、暖炉には灰がたまっているし部屋の角にはうっすら埃も見える。
片手にティースプーンの浸かったマグカップをひとつ、片手にシュガーボトルを持った少女が僕の後ろを通って席についた。そのマグを僕の方へ差し出し、瓶をそばに置く。これひとつしかないんです、と言って笑う少女の目にくまは見られない。よく眠っているようだ。確かにショーの予感があったのに、これはなんだ。悟られないよう、きちんと礼を述べてからシュガーボトルに手を伸ばす。中に入れられっぱなしの小さなスプーンでちょうど一杯をマグカップに移した。香りはモンターニュブルーなのだろうが、淹れ方が少々荒い。フルーツの匂いが消えてしまっている。味も薄い。お湯の温度が足りないのだ。
一口だけ口にしてテーブルに戻す。ごとん、と音が鳴ったがそのまま僕も少女も反応することなく沈黙が降りる。静かだ。トリックを仕掛けようにもステッキは玄関にあるのだしユメを渡って場所を変えるにも目の前の少女は眠っていない。ユメを渡ったり食べたりといった魔法ならステッキがなくてもかけられるのに一体どうしたものか、と少女を見つめる。外に出ないのか肌は白い。エメラルドの瞳がうつくしい。

「こんなところで、どうしてひとりで」
「……それを聞きに、"こんなところ"まで?」

口から滑り出た言葉を拾って、少女は笑った。ブルーを基調にまとめられた少女には不釣合いな真紅のショールを膝にのせて、そんなことあたりまえでしょう、とでも言いたげに。その姿はどこか幼げで、不思議な少女だと思っていたが年相応なところもあるのかもしれない。そうだね、とひとつ相槌を打ってから、口から言葉を走らせる。もちろんユメのことは隠して、だ。この少女のことが知りたい。最初の一手を外したからなんだ、アドリブにも対応できないアクターなど必要ない。とにかく少女について知り、あのユメを悪夢に変え、そして睦みごとのように甘言を囁いて少女をショーのメインアクトレスへと導くのだ。このエメラルドの瞳が白黒に染まるその瞬間を、この目で見るのだ。

「ここに誰かが住んでいることを知ったのは昨日。人づてにね。聞けばまだ年若い少女がひとりだと言う。単に心配になってね、ちょっとしたおせっかいをしに来たのさ」
「それにしては、ずいぶん遅いお出ましですね」
「あ、ああ……」

また少女は笑う。こんなによく笑うのであればあのユメのからさはいったいどこから来るのか。戸惑いながらも雪道に足を取られてしまってとでたらめを言いながら僕も笑って見せる。慣れないと大変ですよね、と言って少女は薄い紅茶のマグカップを手にした。

「良かったら泊まっていかれますか。屋根裏で申し訳ありませんが、客間があります」

暗い室内に明かりはろうそくと暖炉、窓から零れる雪面の反射光のみ。立ち上がった少女は僕を見下ろして笑ったままだ。気圧されるように頷く。
少女はマグカップの中の残りを乱暴に暖炉に投げ捨て火を消した。


案内された屋根裏は階下と同じように角に埃が見えたものの、掃除されていないという感じはしない。ベッドも手入れされているのかかび臭いなんてことはまったくなかった。この家の中で少女はどんなユメを見ているというのだろう。ベッドに腰掛け、階下のユメの気配を待つ。窓の外を覗くと、あたりは一面雪で覆われていた。満月をすぎたばかりの明るい光で雪原が真っ白にきらめく。本当に真っ白だ。月のない部分の空だけが黒い。
そのまま時間をつぶしてどのくらいが経っただろう。月が西に傾き始めてしばらく経つ。少女がユメを見ていると判ったらすぐに降り立ち、ユメの中を見て悪夢に変えることを考えるつもりだった。のだが。ユメの気配がしない。暖炉の火は消してしまったし、階下からは物音がしないのだから少女がベッドにいるのは確かなのに。ユメを見ていないのか、それともずっと起きたままなのか。次の満月までほぼ一か月あるが、苦戦しそうだと頭が痛む。でもその分、だ。その分、少女が夢を失う様はうつくしいに違いない。

空が白んできたのを確認してベッドを抜け出す。結局ユメの気配を待つだけで夜を明かしてしまった。少女は眠ったのだろうか、起きていたのだろうか。出来るだけ音を立てないよう階下に戻るが、降り立ったリビングに少女はいなかった。
ろうそくと暖炉の火は消え、窓際のベッドではブランケットがめくられたまま残されている。椅子の上にはショールがかけられている。どこに行ったのだろう。これは探すべきだろうか、と逡巡したのちドアに手をかける。ぎっ、と小さく音を立ててドアが開く。

「……お嬢さん……」
「おはよう、ございます」

するとそこに少女が立っていた。ミトンをつけた手にパンの乗った鉄板を持って。両手がふさがっていて困っていたんです、と気まずそうに笑う。とにかく室内へと促すと鉄板をテーブルに乗せ、ミトンを外して暖炉上にまとめて置いた。卓上のパンはバゲットとクロワッサンのみ。朝食はフランス式なのか。

「ショコラとカフェオレならどちらが良いですか」
「……そうだな、カフェオレかな」
「わかりました」

紅茶が良い、とは客人の立場なら黙っておくべきだろう。
キッチンだろうか、また奥へと戻っていった少女の背を見送りつつ昨日の席に着き、鉄板に間をあけて並ぶパンを見つめる。バゲットとクロワッサンを同時に焼いたのだろうか。バゲットに焼き色が十分にはついていない。ふくらみが悪いのも発酵が足りないせいだろう。昨日の紅茶の件からしても、少女は料理慣れしていないようだ。
しばらくそうして待っていると、バスケットを腕に下げ、トレイにカフェボウルをふたつ乗せて少女が戻ってきた。ボウルをテーブルに並べ、最初からこうすれば良かったんですよね、などと言いながら鉄板の上のパンをバスケットに放り込んでいく。鉄板とトレイはやはり暖炉の上へまとめられた。そこでやっと少女は暖炉に火が入っていないことに気づいたようだ。側にストックされていた薪を積み上げた中に乾いた小枝を落とし、マッチで火を着ける。用済みのマッチは薪のストックの上に重ねておき、暖炉上では鉄板とミトン、トレイが回収され代わりにケトルが置かれた。こちらの作業は手馴れているようだ。冷めてしまったパンとカフェオレに気取られながらも、徐々に流れてくる暖かい空気に触れ、少女の手際の良さに感心する他ない。

「お待たせしました。食べましょうか」
「いいや。美味しそうなブレッドだね」
「ありがとう」

少女が席に着くのを待って、共にバゲットに手を伸ばしたところで少女が声を上げた。

「あっ切るの忘れてました! それにジャムも持ってきてない!」

バタバタと駆け出していく少女の背を呆然と見ながら、本当に料理慣れしていないのだと実感する。しかし気づくことがひとつ。——こんな山奥に一人で暮らしている、のに料理慣れしていない?
2014/04/14
中編/後編
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