花とウタ

オアシスを夢想

シクラメンの窓

「ソレイユ、ご飯にしよう」

テーブルに昼食用のプレートを二つ並べながら声を掛けたが返事がない。顔を上げると彼女はベッドから上半身を起こし窓を向いたままだった。ソレイユ、ともう一度呼びかけるがやはり彼女は何も言わない。
窓の外では今年数度目の雪が降り、大地の色を覆い始めていた。単調に降りてくる白の奥にはやはり白に染まる桜の樹がある。夏にはその木陰で涼みながら彼女と話もしたのに今は寒さでそれもままならないだろう。
足音を忍ばせて彼女に近づく。片手には椅子に掛けられていたショール。

「ソレイユ」
「わっ、シエル」

ふわっ、と後ろから彼女にショールを掛けてやる。やっと振り返ったソレイユにご飯だよと言って手を差し出した。冷たい手が重ねられ、ゆったりした動きでテーブルに移る。やっとのことで席に着いた彼女はプレートを見て顔をほころばせた。オムレツだ。

「ケチャップある? 絵描きたい、何描いてほしい?」
「うーん…ソレイユの好きなもの」
「じゃあ、シエルだね」

冗談めかして笑って見せた彼女に安心しながらも僕のことなんて描けるのと聞いて困らせてやると、すぐに彼女は拗ねたように唇を尖らせて八分音符を二つだけ描いてケチャップを置いた。手を合わせる。

「いただきます。……食べるのもったいないな」
「食べてよ。ミルクとチーズ入れたふんわり仕上げです」
「おいしそう! それは食べなきゃですね」

まず傍らのブレッドにかじりついた僕とは対照的に、彼女はフォークを手に取ってじっと音符を見つめている。


 ○


「あ、つ……」

首元に巻いていたマフラーを少しずらし、酸素を確保する。冬が訪れていたとは言え集中して何かをやるにはやや警戒しすぎたかもしれない。雪の降る空を見上げ、早く済ませてしまおうと雪かき用のシャベルを握りなおした。
雪かきを名目に外に出て、ざっとやることを済ませてしまったあとはソレイユがキッチンにいることを確認して、今は窓のもとにある花壇で奮闘している。軽く土を掘り返し肥料を混ぜておく。振り返って樹を見つめる。あの樹から降るのは白じゃなくて彼女の色だ。寒さに耐えれば窓から見える景色が一気に変わる。真白から花の色へ。そうしたら彼女と一緒に桜を眺めながらブランチなんてどうだろう? イチゴジャムのサンドイッチにしたら彼女は喜ぶだろう。
じっとしていて冷えてしまったのでマフラーにまた口元をうずめて、手元の花壇に集中する。どうやって植えるべきなのかわからないから勘だけど、と心の中で彼女に言い訳しながら畝を作り、球根をそこに落としていく。最後のひとつを植えたところで、ぎっと玄関のドアが開いた。

「シエル! 部屋の中にいないからびっくりしちゃった」
「あ、いや、……ごめん」
「……何か植えてたの?」

とてとてとおぼつかない足取りで彼女がそばまでやってくる。最後の数歩で倒れ込みそうになったのを受け止め、球根を植えていましたと小さく白状する。ショールを着けていない彼女に自分の上着をかけてやるとありがとうと優しく微笑んだ。この顔に弱いのだ、と思う。

「何の球根?」
「えっと、シクラメン」
「シクラメンはもうちょっと季節早いほうが良いよ。あとこんなにしっかり埋めちゃだめ」

素手で土を掘り返していく彼女に圧倒されながら、彼女を支えてあげながら、一緒に僕も球根を埋め直していく。こんっと一度だけ咳き込んだ彼女に戻るかどうかを聞いても首を振るのでマフラーも渡してやる。一瞬驚いた顔をした彼女はまたありがとうと微笑み、しかしマフラーを僕に返してきた。代わりに上着をぎゅっと握る。
球根を埋め直し終えたのか立ち上がろうとした彼女に手を貸し、ほとんど持ち上げるようにして一緒に立ち上がる。目の前には窓と彼女の使うベッド、並んだサンドイッチのプレート。

「イチゴ?」
「残念、アプリコット!」

くすくす笑っている彼女を玄関へとエスコートする。一歩また一歩とゆっくりゆっくり足を動かす彼女に合わせて。——彼女はもう上手く歩けない。このごはんを食べたあとだってきっとベッドで眠っては窓を眺めて一日を終えてしまう。
上手く咲くと良いな。上手く彼女に見せられたら、良いな。そう思いながら振り返ると花壇ではちょっとだけ頭を出した球根が見える。
2014/06/05
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