花とウタ

オアシスを夢想

模造さえ出来ない

「仮定の話をしようか、トラッド」

学校からの帰り道、生徒会執行部の彼はやけに低い声で言う。トラッド、と確かに呼びかけられてはいたがこちらを向いてはいない。返事をしなかった。両手で前に持っていた薄いスクールバッグを執行部の側の手に持ち替える。進行方向から指す夕焼けの作る影は長い。彼の靴はよく磨かれているようで擦り切れていて汚い。

「仮定の話だ。何も現実じゃない。僕のリンが生きていて、君のレンも生きていて、僕も君も生きていた場合の、そんな話だ」

私の靴は擦り切れてもいないし、まめに磨いているからきれいなつやで光る。けれどタイツが破れているから靴の中で親指だけが突き出していて痛い。それを彼は知らないし、私ももちろん言って笑いを取ろうとも蔑みを得ようとも思わないのだから、そっと私は口をつぐむ。いつもショップの看板だけを見てはため息をついて通り過ぎるショコラ専門店の店頭があまり掃除されていないと気づいて、目さえ逸らした。彼は歩みを止めない。

「ねえ、もしそうだったとしたら、どうしていたんだろう。僕と君は笑って友達でいれただろうか? 相方でもなんでもないただのリンとただのレンの、友達同士でいられただろうか?」
「……そうね。疑似家族も、疑似恋愛も、どっちもごめんなのに、寂しい。ねえ、もうこのあたりで構わないわ。さよならしましょう。バイバイです」

とっ、と先に一歩二歩駆け出してくるりと振り返ると執行部は私を睨んでいた。彼から私は逆光になるのだろうか。なんてのんきに考えようとしては悲しくなってしまう。私も、彼も、相手と自分が嫌いなのだ。それが判っているから、そして妥当だと知っているから私は彼を拒まないし私も彼を嫌い自分を嫌う。
あーしたてんきになーぁれ、歌って靴を飛ばして、そうして現れるのは雲でも太陽でもなく私のタイツから突き出した親指だ。笑ってくれるだろうか? 失笑を買うだけだ。代わりにバッグをぎゅっと前に持ち替える。

「思い出ならしまってしまうか捨ててしまうかのどちらかにするのが良いのです、執行部。私はしまいました。あなたはそうやってさらけ出す、嫌いです」
「その鞄にあの人のリボンをいれているんだろう? 何がしまいましただ、すぐに取り出せるくせに」
「年がら年中一日中四六時中思い出しては鬱に浸っているあなたよりずいぶんと前向きなのよ、これでも。じゃあね」

一方的に始められた会話を一方的に打ち切り、とっ、とっ、とゆるやかにリズムを刻むつもりで駆け出す。執行部の追う足音が聞こえたが引きはがしたかった。これ以上会話していたらきっともっと彼があの子でないことに絶望するし、私があのひとではないことに絶望するだろう。角を曲がって彼の視界から消える。またすぐ次の角も曲がる。
何度か角を曲がって、曲がって、知らない道に出て、走るのをやめ歩き出した。どうやったら戻れるだろうかとは考えないことにする。執行部のいない道ならどこでも良かった。だんだんと足が重くなる。けれど歩みを止めたくない。決して止めたくない。あの人の見れなかった景色をもっと見たい。もう見たくない。あの人と共に見たい。何も見たくない。バッグを投げ捨てる。角にあたってザザッと嫌な音を立てて滑ったそれはまわりの空気から拒絶されたように浮き上がって見え、私の目を離さない。

−−仮定の話をしましょう、執行部。

私の低い声は、レンの声ではないけれどやはり同じ空気を持つ。きっと返事はもらえない。

−−私も、あなたも、私のレンもあなたのリンもいない場合の、そんな話です。
−−だいじょうぶ、仮定だから。現実なんかじゃ絶対にないのだから。

バッグを拾おうと一歩踏み出したところで通りがかった車にクラクションを鳴らされ、足がすくむ。
2014/02/24
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