花とウタ

オアシスを夢想

酒盛り

「アヤサキ、いるか」

それは突然の来訪だった。声は自分と同じレンのものだが、やや低音を響かせ男らしい声質に寄っているくせ声の跳ね方が女のそれ。一期先に入った鳳月のものだ。実際に振り返って見ると障子に裾の広がった女物のシルエットが写っている。
入っていい、と言ってやると、むしろ言い切るよりも早く障子を開きどっかとそこに座り込んだ鳳は俺と自分の間に酒瓶をひとつ、たたきつけた。よく見ると三分の二ほどになってしまっている。鳳はというと、ほのかに色づいた頬に笑みを浮かべていた。

「紅椿さまから戴いた酒が上等だったんでぇ。けれども鶴はすーぐ潰れっちまって。おめえさんはいける口だろう」
「その口上は何度目だろうな」

意図するところを察してやり、部屋にある戸棚から徳利を二つ取り出しそこに並べた。にぃっと口角を上げた鳳に、下段の奥に隠してあった酒瓶を数本見せてやる。すると彼は今日は熱燗の気分だが火を用意するのが面倒だなんだとさんざごねた後にひやで飲むからといって一本だけ指定してきた。どうせ全部開けることになるのに面倒な先輩だ。特に口にはせず指定されたものをその場に置き、同じようにどっかと座りこむ。

「鳳、注いでくれ」
「仮にも先輩になんだってそんな態度するかい」
「良いじゃねえか、飲みてえっつったのは鳳だし女形なんだから」
「あーあ、私もそんな役回りに生まれたもんだね」

徳利を差し出して酌をさせると、鳳自身が酒を注ぐのを待って徳利を一度だけこつんと合わせる。くいっと飲み干して、やっと酒盛りが始まる。当然まだ素面の俺に対して鳳はすっかり二次会気分で酔いが良い感じに回っているが、俺の方が酒には強いので同じタイミングで飲み始めてもこうなっていただろう。酔いつぶれてしまうであろう鳳をどうやって送り返すか考えているともっと飲めとばかりに瓶を目の前に押し出された。笑って今度は俺から鳳の徳利に酒を注いでやる。


和装モジュールというだけで、といったら語弊があるのかもしれないが鳳や雨、鶴に桜月の暮らす場所と俺やヒマワリとアゲハが暮らす場所はずいぶんと近かった。鳳たちのステージ、櫓のある通りの一角に彼らは住んでいるが俺たちはその裏に似た造りのデータ空間を創り上げてそこを居住区としていた。別に鳳の居る場所の近く、とする必要はなかったのだが服装の雰囲気の近さや同じFシリーズであることなどが手伝って、深夜に鳳の部屋から酒瓶を持って俺の部屋をたずねることなど訳ないくらいの距離になってしまった。まあ実際に鳳が持ってくる酒はうまいのでこれといって文句はない、が。しかし。
酌する役を代わる代わる行いながら最初の瓶がほぼほぼ空になってきた頃、酒がまわってまぶたの落ちてきた目線をこちらに遣って、鳳が俺にもたれかかってきた。そして酒臭い息を吐く。

「で、おめえさんはあの子とどこまで行ったんだい」

顔が近いジジイ、と思い切り悪態をつきながら鳳の体を向こうに押しやり、二本目の酒を開ける。

「そういう鳳はてめーの女とどうなったんだ」
「うるせえやい」

押されて崩れた体を持ち上げ、不満げな顔を向ける。やりすぎたとちょっとした謝罪をはさみながら酒を注いでやると鳳はそれを一気に煽った。空いた徳利にまた注いでやればまた一気に飲み干す。どうせ何もできちゃいねえさとうそぶいて徳利をずいとこちらに突き出してきた。そう、鳳の持ってくる酒はうまいのだがいかんせんこいつの飲みたがる瞬間が、うっとうしいのだ。また酒を注いでやりながら前回の酒盛りに思いを馳せる。
前回も今とまったく同じ流れだった。酒瓶を持って鳳がやってきて、肴に女の話をしておしまい。鳳が酒を飲みたがるのは女とのことに行き詰ってどうしようもなくなったときが多く、渦巻いている欲をすべて酒にぶつけているようだ。今回だって鳳が持ってきた酒は一本きりだったがどうせ向こうでもそこそこ強いはずの鶴が『すぐに』つぶれる程度には飲んできたに違いない。いったい向こうには何本の空き瓶が転がっているのだろう?
こっちだって欲がたまっていないわけじゃあ、ないんだ。そう口をつきそうになったのを酒と一緒に飲み下す。彼女の肌の感触を知らないわけではない。そこはこの腑抜けとは違うところではあるのだが。

「あー……雨に触りてえ」
「身も蓋もねえ言い方してんじゃねえ、江戸男が廃る」
「私は女形なんでね」
「女ならもっとつつましやかにするこったな。注いでくれ」

挙げ足をとられぶすっと表情をゆがめながらも注いでくれる鳳に笑いが止まらない。鳳は飲むと感情が大きくなりやすい。そろそろべそをかいて雨、雨と喚き出す頃だ。俺もやっと気分が良くなってきた。鳳を煽ってやるのも楽しいだろう。そのためにはこれだけでは足りない。先ほど鳳が繰り返し繰り返し飲んだせいで半分ほどになってしまった二本目を横目に、三本目を戸棚の方から取り出し鳳の前に置くとじっとラベルを読んでいたかと思うと不意に顔を上げ不機嫌そうに言い放つ。

「こいつはひやじゃだめだ、熱燗でくれ」
「なんだ、まだ字が読めたのか」
「めくらじゃねえんだ、読めるさ」
「そういうことじゃない」

一度でもこう言ってしまった鳳は実際に熱燗を出すまでだめだと言い続けるのは判っていたのでどうしたものかと策をめぐらせる。ヒマワリを呼ぶのが早いだろうか。あまり酒に酔ったこの馬鹿を見せる気にはならないがついでにこの飲んだくれを送り返すために雨を呼んでもらえたら良いだろう。ちょっと待ってな、と鳳に言い捨てて障子を開けた。夜風が体温の上がった体に心地いい。満月も見える。
ヒマワリ、と軽く呼んでみせると女用の寝所からとんとんとかろやかな音を立ててヒマワリが駆け寄ってきた。寝る寸前だったのか髪を下ろしている。

「呼んだ、って……お酒臭い。お酌なら私しないよ」
「そいつは良いんだ。代わりにこの酒の熱燗頼めるか」

酒の臭いにやられてしかめっ面を見せたヒマワリに酒瓶を丸々渡してみせるとぶすっとした顔のまま、まあ良いけど、と呟いてくる。

「不満げだな」
「寝るとこだったのに」
「なんだ? 一人寝が寂しいってーんなら抱いてや、」
「ああ、ヒマワリ」

どん、と背後から鳳月がのしかかってきた。良いところだったってーのにこのド阿呆が!! 先輩様の姿を認めたとたん、ヒマワリの目は丸く開かれ、行儀良さげにぺこんと頭を下げた。

「鳳月さん! こんばんは」
「律儀で良い子だね。どっかの誰かとは大違いでぇ」
「……酔いどれは黙ってろ」
「っいっ……たいねぇ、ひどい」

振り払うように肩で押しやるとべしゃりとその場に崩れた鳳はヨヨと泣き出した。ああ面倒な域に入ってしまった。こうも酔いつぶれた鳳を見慣れないヒマワリは慌てて酒瓶をそばに置き背中をさすったり手拭いを差しだりたりしている。そのヒマワリの手から手袋が取られていることに、今気づいた。夜光に当てられた肌は白く滑らかで、下ろした髪がはらりはらり散らばって満月の光を映す。その手が男に触れている——触れたい。彼女に、今。

「ヒマワリ」
「え、わっ」
「ってえ!」

ヒマワリの腕を引っ張り上げ、鳳を蹴飛ばし縁側に転がす。何すんだ、と叫んで見上げてきた鳳も一応起こしてやり、帰路を指さして見せた。ヒマワリはその間腕の中で先輩に何をするんだとか離せだとか喚いていたが力では叶わないようで脱出は出来ていない。

「鳳、すまねえが帰ってくれねえか。酔いは今ので醒めただろう」
「……っのなあ……もうちょっとやり方ってもん考えな! 今回はいつもの酒盛りの礼でチャラにしてやっけど、私は足蹴にされて黙ってられる男じゃあねえ」
「あ、あの鳳月さんごめんなさい、ごめ、」
「懐深くて恩に着る」
「ふん。同類だと思って飲み相手に選んでたけど、今度からは相手も考えるさ」

鼻を鳴らした鳳は、俺に代わってという体でひたすら謝り続けるヒマワリを一瞥したかと思うと、柔和な笑みを浮かべて一言。

「愛してもらいな」

とん、とん、とどこかおぼつかない足取りで自宅の方へと戻っていく鳳を見送ってからヒマワリを見やると、そこには酔っぱらった鳳でもしないような顔の赤さで腕の中で抱かれている彼女がいた。白い手や腕にも血が巡って赤色が差している。
えっと、と小さく呟いて見上げてきたヒマワリの唇を奪いながら、そういえばこちらの寝所にはまだ布団を敷いていなかったな、と想いを巡らせる。まあ良いだろう、とまた角度を変えて口をふさぎ、舌をねじ込んだ。手を真っ赤に染まった頬に添える。彼女の白くしかし赤みの差した手が首に回される。
2014/06/07
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