花とウタ

オアシスを夢想

信じて、嘘を吐いてあげたから

「お前のことは信じられない」
嘘をつくことがすごく簡単に出来る彼女が初めて本当のことを言ったのではないかと思う。心外だなあ、どうして、とたずねると答えたくもないと言う風に目を逸らしたあと、ぐっと継ぎ接ぎだらけのテディベアを握りしめた。ーーいつぞやには名前をつけていた、可愛がっていたはずの、それ。
「お前は嘘をつかない代わりに隠すから」
「例えば? 僕は君を愛してあげられるよ」
「そうだね。全智全能みたいに話すんだね、君は、ああでもボクは、ああもう、違うんだ」
名前も呼ばれなくなった柔らかいそれにすべてを預けて彼女は鬱ぎこむ。眠れないのだと彼女が震えていたから、悪夢を食べに来てやったのに、ああもうと投げ出したいのはこちらも同じだ。鋏みたいな切れない凶器で自分を傷つけるために名前もないテディベアを刺して、でも捨てきれなくて抱えて、悪夢も振り切れないで、両手いっぱいになった痛みのせいで、彼女は僕の手を払うのだろうか。彼女について思考を巡らせたのち、少し夢を見すぎだと気づく。声をかけられるのを待って、彼女は古く褪せた布地のベアを潰すように抱き締めている。
「なるほどお嬢さん、愛されるのは一番が良いと?」
「違う」
「では愛されるのは自分だけが良いと?」
「それも違う!」
顔をあげた彼女はきっと僕を睨んでくるが、胸元のベアは苦しそうに顔を歪ませていた。ああこの子に夢を見させてやりたいなあ、と思う。でも視界はすでに赤と黒。半分夢を捨ててしまっている彼女だから、見せてやれる夢も美しいものじゃないのだろう。ステッキでこつんと地を叩く。鋏が揺れる。一度目を瞑って笑みを思いだそう。
「……判っているよ、お嬢さん。いじわるをして済まなかった、君があまりにもかわいらしいから」
「虫酸が走る」
「でも愛しているのは本当だよ、一番でもたった一人でもないけれど。僕は君の特別ではないけれど。ねえ? お嬢さんのお友達」
ステッキでぽすんとベアを叩く。ベアの目が一度光り、また黒く濁った。ベアも夢を見るのだろうか。彼女に愛される夢だろうか。
「何をしたの」
「……彼が眠れるようになるおまじないだよ。朝が来るまでそれじゃあきっと首が締まってしまうからね」
くすり笑って目を臥せ、きびすを返す。ああもう良い、違うレディの夢を喰らおう。泣いてる気配はしないからひどく傷つけてしまったかもしれないなんて杞憂だろう。もう良い。もう良い。彼女の夢はもう味さえしなくて、少しからいような気がすると思い込んだところでまた無為が目立って後味ばかりが際立つ。こつんとローファーが地面を穿つ。ばさりと背後で衣擦れの音がした。振り返る。彼女の足元で段ボールが蹴り飛ばされるところだった。
「彼じゃない、女の子。名前もある、教えた」
「……君の方が忘れてしまっているのだと、思っていた」
飛んできた段ボールを受けとめ、ステッキで叩いて折り畳む。そして彼女たちの元に投げ返した。二人は泣かないが傷だらけだから見ているだけでどこかが痛むような気がする。
「愛してくれ」
段ボールを踏み潰し、その下でガジャリと機械が摺れる音がしたのにもお構いなしに彼女は叫ぶ。携帯電話をなくして彼女は誰と繋がるのだろうか。僕だろうか。寂しい人。もう良い。
「僕は君の家族じゃないよ。父さん母さん兄さん姉さんなんかじゃない、当然君のためだけのレンじゃない」
「それで良い、代わりになるなら良い、……嘘、違う、トリッカーが良い」
「なら彼女で顔を隠したりしないで。指切りも口づけも夢を喰らう約束だから、愛してあげる約束なら抱き締めよう」
手を差しのべる自分に反吐が出る。それでも彼女のぬくもりはなんだろう。後味の悪い夢をきっと見るだろう。それでも彼女は現実を見るのだろうか。誰にも愛されていない、自分にすら愛されない、自分と自分を投影したベアだけの赤と黒の視界で。ああ、甘い夢が恋しい。
「ねえ、愛してくれ、父さんも母さんも私にはいない、きょうだいも、レンも、なのに気持ちだけ残って、苦しい、トリッカー、ボクはどうしたら良い、苦しい」
「じっとしていて。愛してあげよう。夢は喰わないよ、君は夢を見ていないから」
「そうだね、もう、夢はとっくの昔に見飽きた」
ぐずりだした彼女と僕の間でベアが潰されて呻いた。君はまだ夢を見ているんだね。でもどうせ味は悪いだろうから、喰らうのはやめておこう。僕と一緒に彼女を愛してやってくれないか。君のことを彼女はずっと愛してやっていたのだから。
夜が明けるまでそうして、やはり夢を見ない彼女は何も見えない眠りについて、目が覚めたときにまた悪夢も見るのだろう。緩やかな光の中、また来てあげようと約束しようとすると彼女は壊れた携帯電話を投げ飛ばして拒否を示した。直してから投げ返すと彼女はすぐにメール画面を開いた。そして微笑み、それをポケットにしまいこんだ。


(どうか信じて、嘘なのだから)
2013/09/23
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