花とウタ

オアシスを夢想

隣を歩きませんか

ぺちん、と軽くて気の抜けた音が響いた。姉さまはいつものお顔で、しかしすこぅしくちびるをへの字に曲げなさって、僕を見る。ぺちんと音を立てた頬を撫でると熱も何も持っていなかった。姉さまはお優しい。
「姉さま、汽車が出ます。乗らなければ」
「……好きません」
「我が儘を仰ってはなりません。今日は桜花さまたちと遊覧に出ると言っていたでしょう」
「汽車は揺れるわ。また千切れてしまう」
胸元の人形を抱え、ぷいとそっぽを向く胡蝶の、まるで西洋のビスクドォルのような愛らしさと言ったら!
しかし約束は守らねばならぬものと姉さまをさとし、手を引く。
「姉さまが汽車をお嫌いならば、帰りは車を頼みましょう」
「……扇舞」
「そういうことではないと仰るなら、しかしはやく。姉さま」
「……扇舞は、判らないの」
「はい」
「ばか」
振り向き様に吐き捨て、胡蝶姉さまはさっと汽車に乗られてしまう。人形のためのトランクを脇に抱え、僕も後に続いた。ぺちんと叩かれ、ばかと言われ、嫌われてしまっただろうか? なんだか急に汽車を降りたくなる。ぷおー、と高い悲鳴のような、それでいておもちゃのような安価そうな声を上げ汽車が進みだした。連結部分から空を見ると汽車の吐く煙が空を雲を飲み込み、雲の上の何もかもを食らってしまえば良いのに。
桜花さまたちの元へ戻るとすでに姉さまは桜花さまと楓香さまに挟まれ、高い声でお喋りに高じている。一人の少女の姿に眼帯が痛々しい。
「胡蝶姉さま」
思わず呼び掛けた声に姉さまが顔を上げる。いつものお顔で、しかしすこぅしくちびるをへの字に曲げなさっている。
「帰りは、もしも姉さまがよろしいのであれば、歩いて帰りましょう。ふたりで」
「……ばか。そうしましょう」
2013/09/29
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