花とウタ

オアシスを夢想

きみとぼくとぼくらのうた

 1
 歌声がどこか遠くの方から聞こえた。
このステージには今はボクしかいないのだから他者の声が聞こえるのはおかしい。幻聴かと思い耳を澄ましてみればなおのこと強く声が聞こえてきた。力強く、張りのある、叫び出すような少女の声。どこかのリンの歌だ。
 しばらく放っておけば消えるだろう、と鳥籠の中のテーブルに寄りかかる。退屈を持て余してはいたが、わざわざ歌声を辿る気にもなれなかった。本来聞こえてこないはずのステージ外の音が漏れ出してきているならそれはそれで大変なことなのだけどそうなればお節介な他のモジュールたちがどうにかするだろう。ボクの出る幕じゃない。すっかり定位置と化したテーブルの隣の床で足を抱え、目を瞑る。聞こえてくる声からでは歌詞までははっきり判別出来ないものの、メロディはそれとなくわかる。高音が目立ち勢いがある。バラードのような落ち着いて聴かせるタイプではなくてぶつけるようなメロディだ。リンの歌で叫ぶ曲はたくさんあるのは確かだが、それでも悪くはない、そう思った。これで歌詞が意味もなくそれらしい言葉を並べ立てただけのものならこの評価もひっくり返るのだけど。
 目を瞑っていれば睡魔に誘われるのは当然のことで、うつらうつらと舟を漕ぎ出したボクがすっかり寝入ってしまうまで、その声は聞こえつづけていた。

 2
 目を覚ましてもやはり景色は変わらず鳥籠の中だ。ボクの持ち曲になぞらえてパラジクロロベンゼンの構造式をそのまま転写したかのようなシルエットの鳥籠にはテーブル、小さなミクの銅像、そして赤と青の色ガラスに錠付の扉があり、移動は出来ないようになっている(そうは言っても所詮データ上のことなのでステージから抜け出す方法などいくらでもある)。このステージは暇をつぶすものがないけれど、同時にボクを侵食するものもない静かな場所だった。
 けれど。ここ数日、ずっとあのリンの歌声が聞こえていた。いや、まれに途切れることはあるがそれは例えば食事をしているとか眠っているとか、そういうくらいの時間のもので、本当にずっと聞こえていた。暇さえあれば歌っているのだろう。そしてそれは日に日にはっきりと聞こえるようになり、今では歌詞まで聞き取れるし、微妙な声色の違いまで判別できる。叫び出すようなリンの歌で知っているものはいくつかあるが(例えば、孤独の果てだとか、炉心融解だとか)この曲は、ボクの知らないリンの曲だった。声の跳ね方が違う。特にまだいないボクのリンとは。
「……全智全能、の、言葉、を、ほら」
 歌声をなぞるように共に歌えば、その歌を共有できる。ような気がする。
 その歌は叫び続けるメロディに見合うだけの言葉で歌われていた。もはやこのリンも歌うと言うよりは叫んでいるんじゃないだろうか。小声でぼそぼそと紡いでいるだけのボクにはよくわからないけれど。流れでそのまま最初のサビを共に歌い終える。
「正直者は何を見る、正直者は、……」
 二番に入り、曲の雰囲気が少し変わったところで心臓が跳ねた。こうやって共に歌えるくらいにはすっかり歌詞も覚えてしまっていたのだ、と思うと何か、妙に疲れていると気づく。そうして歌うのもやめた。聞き飽きているわけではない。リンの声は基本的に心地が良い(それはボクがレンだからなのかもしれないし、単に曲の雰囲気が近いからなのかもしれない。実際リンの曲であれどカラフル×メロディなんかはあまり得意な声色ではない)のだけど、それでもボクが歌うのはだめな気がしたのだ。
 パラジクロロベンゼンも高音の目立つ歌ではあるが所詮レンの得意な声域に合わせただけの話で、メインはノンブレスで吐き切るサビと淡々と紡がれる言葉の羅列にある。この歌に意味はない。この詩に意味はない。ボクが歌う歌には意味がない。聴こえてくるリンの歌は、歌う意味と叫ぶだけの価値のある詩だ、とほんの少しの共有だけで気づいてしまった。ボクではだめだ。ボクにはだめなのだ。きっとこのリンの曲のことなどボクにはわからない。
 心地の良い歌声に身をねじ切られるような感覚に襲われ、目を瞑って耐えながら睡魔の訪れを待つ。誰だっていいのさ、とリンの声がまたボクに圧し掛かって、そして途切れた。しばらくしてやっと向こうのリンの寝息がほのかに聞こえてきて、そこでボクも糸が切れたかのように眠りに落ちた。

 3
 孤独を知っているのは孤独を歌う者だろう、と思い立ったのは本当にただの思い付きではあったが、なかなかに妙案だった。ボクを責め立てるような曲の聞こえる鳥籠ステージから抜け出し、行くあてなく彷徨うのも癪だったので見知ったステージに目的をひとつ持って潜り込む。足元に広がるのは輪をかけていく波紋とゆらゆら揺れる反射された自分の姿(鏡音は鏡に映るとレンはリンの姿が見えると言うがリンがいないボクには自分の姿が見えるだけだ。鏡音の相方がいる奴らがどうなっているのかは、知らない)、頭上には壊れた原子炉だけ。わざとらしくぱしゃりと音を立てるとステージに溶け込むように膝を抱いていたリンが顔を上げた。ミクに比べればずいぶんと短い、しかしリンにしてはずいぶんと長いツインテールが揺れる。
「ああ、ダークか……また何かの残響かと思った」
「何それ。まずは挨拶のひとつくらい寄越してくれたって良いんじゃないの」
 自分も挨拶せず嫌味をひとつ投げ返し、隣に座り込む。顔を上げてはいても交わらない視線と常に鳴り続けている水音が居心地よく、リアクターと共にこのステージにいるのは前々から嫌いではなかった。といっても、リアクターとの付き合いはあまり濃いものではない。実際に顔を合わせたのはACに入ってからであり、ステージ上で共に休息するようになったのなんてF2nd収録がお互い決定してからだ。こうして空気を共有できてからよりも、どちらかと言えばボクが一方的に興味を持っていただけの期間の方が長かった。extend収録決定時(つまり、モジュールとしてボクが誕生したそのとき)同期のブラックスターやブルームーンに強制されつつも2nd以前の収録曲、モジュール、PVを確認したあの瞬間からリアクターのことは強く認識していたから。——黒や青の曲も孤独を歌うもののはずなのに、タイトルからしてそうなのに、リアクターの曲だけがどうしても耳について離れなかったのだ。
 座ったは良いが、もちろん今隣にあるのは机ではなくリアクターの体だ。もたれるわけにもいかず、抱えた膝にあごを乗せ、ぽつり本題に入る。
「今日来たのはさ」
「うん」
「歌えはするんだけど曲名とモジュールを知りたいのがあって」
「曲名も知らないのに中身はわかるの? まあ良いよ、歌ってみて」
 言われるがままに覚えたメロディを紡ぐと、リアクターはああなるほどと言って微かに笑い、共に歌い出した。彼女の唇から漏れ出すメロディと言葉は確かにずっと聞こえていたものと同じで、歌い手も確かに同じリンではあるがリアクターが歌うとどこか大人びて聴こえ、叫ぶようにというよりは歌うように、と表現したくなる。炉心融解も随分と歌うよりは叫ぶ歌をしているのに不思議だ。一通り歌い終えたリアクターがこちらを向く。視線を合わせてくるので少し心臓が跳ねた。
「曲名は東京テディベア。ボーカルは鏡音リン、専用モジュールはシザーズ。初収録はFで、もちろんF2ndにもモジュールがいる。ACにも入っているからダークの勉強不足だよ」
「……むしろなんでリアはわかるのさ」
「同じリンの、同じ孤独を訴える曲持ちとしてのよしみかな。まあ僕は愛されたいわけじゃあないんだけどね」
 僕はただの死にぞこないだからさ、と視線を外し立ち上がったリアクターはそのまま体を跳ねさせるように水面を揺るがし、ボクを送り返すためのデータ空間をステージに開けた。軽く手招きされ、仕方なくボクも立ち上がり彼女の横に並ぶ。ツインテールが肌をかすめた。
「どうやって曲を知ったのかは大方わかってるんだけど……」
 思わせぶりなことを呟いてリアクターはボクに目を向ける。
「たぶん、ダークはあの子の歌に惹かれてるんだよ。で、あの子もダークの歌に惹かれてる。会ってみたら? 同じF2ndにいるんだし」  指差された空間の穴を覗き込むと、まるで鏡に映したように目をぱちくりさせているリンの顔があった。

 4
 赤と黒のつぎはぎのフードつきワンピースに同じくつぎはぎだらけのテディベアが胸元に潰されるように抱きかかえられている。なんとか名乗ってくれたものの、シザーズは物静かな性質なのか黙ったまま動かないでいた。
 リアクターに背を叩かれて転げ落ちたのは白い子供部屋で、その中で彼女の服はとても浮いていた。白塗りの壁に白い家具、当たり散らしたように散乱した雑貨を目前に二人してベッドに腰掛けているが隣の彼女がどうあがいても視界に入ってくる。黒と赤、瞳は青。自分を振り返れば黒いセーラー襟とゆるいズボンがやはり目立ったし、彼女から見ても自分の瞳の緑が浮いているのだろうとわかる。先ほどから何度か視線が絡まってはそっと自ら外し俯く、というのを繰り返しているのだから。
 このまま沈黙が続くならばどうしようか、と考える。結論はすぐに出た。あまりに、不毛だ。確かにシザーズのことは気になるけれど歌も聴こえなければ心が安らぐわけでもないこの空間はあまりに不毛だ、無意味だ。意味なんてない、ボクには意味なんてない、意味のないボクがここにいても仕方ない。ならば出来るだけ早くあの鳥籠に帰ろう、と心に決める。挨拶くらいはするべきだろうか、と少しの間逡巡して一言だけ声をかけることにした。
「ボク、もう、帰るね」
「えっ、あ」
 はっと顔を上げたシザーズの顔は普通のリンよりも目の下の色が深く、くまがひどく見えた。まって、と絞り出すように発された彼女の声はどうにも幼く、何故だろう、歌っていたときのあの覇気をまったく感じなかった。
「待っ、て、ボク、ずっと君と話をしたく、て!」
「……早く言ってよ」
「ご、ごめん」
 より強くテディベアを抱きしめた彼女に不機嫌な目を向けながら、一度浮かせた腰をベッドに戻す。言葉の続きを待つように睨みつけると、シザーズはなおのこと怯えたのかベアに顔をうずめてずっと小さくなる。はぁ、と溜息をつくと同じ体勢のまま重ねてごめんと聞こえた。溜息を飲みこむ。
 そのまま数分待ってみたが、先ほどの溜息がいけなかったのかすっかり言葉を話せなくなったシザーズを横目に、眼前にモニターを呼び出す。映せるものはPVだけであまり他者に興味のないボクが使うことはない代物だった。まごついた操作で東京テディベアを選択する。とりあえず追加演出はオンにして、再生。流れだした自分の曲にシザーズの肩が震えた。
「……ごめんね。ボク、君のPV観るのこれが初めて」
 嫌味をひとつ。構わない、というように首を振るシザーズはやはり幼く、膝を丸めて顔を沈めている様は恐ろしい程に弱かった。対照的にPV中の彼女は攻撃的な目で歌を叫び続けている。全智全能の言葉をほら聴かせてよ……今彼女が欲しい言葉はなんだろうか。リアクターなら何を求めるだろうか。ボクの欲しい言葉はなんだろうか。全智全能の、言葉、とは。教室の中で顔のないクラスメイトが彼女を追い立てそして消え行く。馬鹿を見た彼女が帰る場所をなくし、独りきりの教室で叫ぶ。叫んでいる。
 すぅ、と小さな音が聞こえた気がして振り返るとシザーズがテディベアから顔を上げて、半分泣き出しそうな目で、耳まで真っ赤にして口を開いたところだった。
「ぼ、ボクの歌はね、愛されたい少年の歌だ」
 一度はシザーズに向けた目を、PVに戻す。白い肌に攻撃的な目をした彼女が、真綿を嘘と、何も無いと表現し、つぎはぎだらけの自分の分身をしっかり縫い止めて、歩み去るところだった。誰だって良いのさ、代わりになれば——孤独を訴え、愛されたいと願う少年は最後に愛されることさえ放棄したのだろうか。命火を裁つ、と呟くとシザーズが必死に頷いた。
 再生を終え真っ黒になったモニターをしまうと、今度は震える手で彼女も同じモニターを呼び出し、慣れた操作でパラジクロロベンゼンを流し始めた。高架下、子供部屋、教室とさまざまなステージを変遷した彼女のPVに比べ鳥籠の中で踊り続けるだけのボクのPVはより閉塞感が募って、自己満足を極めている。
「ストレンジダークの歌は、ちょっと似てたんだ、愛されたいじゃなくて、認められたい、だと、思いはしたけど」
「……ふぅん」
「リアクターの歌は逃げ出したいけど逃げられない誰かの歌だな、って……似てると思ったんだ、だから……」
 シザーズの言葉に納得するところがないと言えば嘘だった。結局ボクらの曲は同じ孤独の歌だ。その孤独を受け入れきれないからこそ、ボクは自尊心を満たすため他者を攻撃し、リアクターは逃げ出したくて自分を追い詰め、シザーズは愛されたくて嘘で自分を満たし他者をねだる。そしてみんな今の自分を肯定できない。その点、孤独をまるごと受け入れ戦おうとした黒と青は強くて、妬ましくて、だから惹かれなかった。だからシザーズの歌は心地よかった。
 しかし口を衝いて出たのは彼女をほめたたえる言葉なんかではなかった。パラジクロロベンゼンは、黒猫を殺す歌。誰かを苦しめる歌。意味などないと責め立てる歌。
「それでボクと傷の舐め合いでもしようって? もしかして君、空間ゆがめてでもステージ繋いだ? 君のおかげで毎日素敵な曲が聞こえてきて寝心地最悪だったんだけど」
「ご、ごめん、なさ、リアクターに言ったら少し協力してくれ……ご、ごめ、ごめん、忘れて!」
 自然と自分の口から出ていった嫌味を追い、彼女に向けた視線が彼女の返事のせいで揺れた。そう自分で判った。リアクター? は? 協力? なるほどグルだった、と理解してから彼女に怒りたいがリアクターにも腹が立ってしまって、どういう視線を向けるべきか悩んでしまう。溜息をひとつ大げさに吐きだし、沈黙を決め込んだ。失言をやらかしたシザーズはもうほとんど泣き出しているのか鼻をすすっては息を止め、しゃくりあげるのをこらえては息を吐いている。——鬱陶しい。
 しばらく待ってみたがどうにも埒が明かないので、すっくと立ち上がり、彼女に振り返った。追いすがるように顔をこちらに向けてはいたがその顔は幼く、愛されたいと叫ぶよりは同情を誘う顔だった。睨みつけて舌打ちを一つ送り付けると肩を震わせて視線を逸らす。
「ほんとに帰るけど、何か言い残すことはある?」
「ご、めんなさい……もう、話そうとは、思わないから……た、ただ」
「ただ、何」
 一呼吸置こうとした彼女に低い声で迫るとまた怯えたがその姿はまるで飼い犬が飼い主に怒られているときのそれだ。飼われたいの、と問いかけるような叫ぶような彼女の歌声が脳内に響く。
「ただ、……ううん、良い」
「あ、そ」
 迷ってから伏せた目にもう一度舌打ちを送り、リアクターと同じように移動用の空間を作り出し子供部屋から抜け出す。自分の鳥籠に戻ればすぐにその穴をふさいだ。
 その日は何の歌も聴こえてこず、ボクは冴えた目を無理矢理に瞑り続けて眠ったふりをした。

 5
 事の顛末の報告、そして多分の詰問を用意して炉心融解ステージに行くと、もうすでに話は聞いている、お前は馬鹿だと言わんばかりに笑ったリアクターがいた。事実、第一声が「謝らないよ」だ。顔をしかめたボクに、彼女があの子のテディベアを投げる。
「もう一度、ごめんとだけ伝えたい、と。けなげな子だよね」
「良い迷惑だ。ボクは代わりなんか要らないし、代わりになろうとしてるあの子を愛したりしないよ」
 わざと受け取らずに落としたベアが、足元の冷却水に触れ形と色を変えていく。かわいそうに、とは思うけれどどこかで殺したはずの猫よりは哀れではない。所詮代わりだ。
 リアクターはそれを見てゆっくりと歩みを進め、テディベアを拾い上げる。垂れてきた水を見つめ、しばらく首を傾げていたがそのまま原子炉の、水の触れない場所にひっかけた。居場所を得てこじんまりと収まったテディベアから視線を外した彼女が今度はボクにそれを合わせる。
「僕はダークの自分だけが正しいって姿勢、好きだよ」
 押し黙ったボクに、彼女が畳みかけるように笑った。そういう曲だもん、仕方ないさ。
「きっとダークはね、僕と同じでずっと苦しいんだ。僕のいない朝を想像することでしか救われない僕みたいに、きっと君は朽ち果てるまで救われない。あの子の怯えたところを攻撃して、でもあの子の攻撃的なところを妬んで狂って、逃避のように眠ろうとするだけだよ」
「……予言者ぶるな。帰る」
 用意していたはずの詰り誹りも口にする気がなくなった。
 引き留めもしないリアクターに背を向け、黙ってステージから抜け出し、鳥籠の中に戻る。そこは相変わらず静かで、まったくボクを侵食するもののない場所だ。ほっと胸を撫で下ろし、定位置に腰を下ろす。冷たい床の感覚と寄りかかれる机の存在。膝を丸めると目を閉じたくなる。  目を瞑り、睡魔の襲来を待つ。少し暇を持て余して口ずさんだ自分の曲に、どこからかリンの声が重なっていた。叫び出す、幼い、声。口にしているのは自分の曲でしかないのに頭の中には別の曲が響いていた。
——全智全能の言葉をほら 聴かせてよ
——ボクもキミも何もかも全部
  **********
——全智全能の言葉をほら 聴かせてよ
——さぁ 狂いましょう 眠りましょう
  朽ち果てるまで さあ
2015/03/80
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