花とウタ

オアシスを夢想

バイバイハニー

べちん。
あー痛い音したと、誰かが呟いた。レンかな。


「なに突っ立ってんの、なにか言うことあるでしょ」


憎しみが篭った目で、ミクが俺を睨んでいた。これじゃまるで俺が浮気したみたいだ。
はたかれた頬に手を当てるとじわりと熱を持っていて、誰かの、氷、という呟きがやけに響いて聞こえた。ごめんなさいという俺の声に被せて、ばたばたと出ていく足音がする。この感じはリンとルカだ。痛む頬に視線が刺さる。レンがまだここに残ってるんだろう。
ミクは眉間に皺を寄せて俺を睨んだままだ。腹の探り合いでもしたいんだろうけど、あいにく俺は探られるほど思慮深くはない。


「ごめんなさいで済まされるとでも」
「いいえ。でも、済めば良いなとは」
「最低」


もう一発。本気で浮気したみたいになってきた。レンにはこのシーン悪影響なんじゃないかな。リンとルカはなんでレンも連れてかなかったんだろう。
ミクが何か喚き出した。こうなると止まらないんだよなあ、と思う。


「あんたのせいなのに」
「うん」
「あんたが悪い、最低、ありえない、黙っててよ、きもちわるいおぞましいうとましいありえないきもちわるい、ほんともう、黙って、」
「…うん」


つまり俺はただ喋ってただけでひっぱたかれたんだなあ。視線を逸らすとレンと目が合った。ちょっと堪えててと言うように軽く唇に指を押し当て、合図をくれる。ああなるほど、ミクが暴れた時のためのレンなのか。
ミクの方に視線を戻すと、かなり追い詰められていた。腕を握る青い爪が肌に食い込んで、揺れる青い髪がばらばらと落ちていく。喚き声は終わらない。言葉がだんだんひどくなってきた。俺を傷つけるだけ傷つけて、でもこの子はそこまで物判りの悪い子じゃあない。俺の腹を探り終わる前にこの子はすべてを諦めてしまうんだろう。


「あんたなんて死んじゃえば良い」


この台詞は締められるなと思ったところで本当に絞められた。なんて判りやすい子だろう。苦しい。


「あんたなんて、」
「ミク姉」


レンが制止に入った。逆上を許さないような低い声にミクの手が緩む。


「やりすぎ」


簡単な台詞だった。こんなことで止められたんだな、と少し羨ましく思う。でも俺にはどんな場合にしろ出来なかったんだろう。特に今回は首を絞められてしまったわけだし。
ミクは我に返ったようで、ばらばらと落ちる髪を踏み付けながら逃げるように出ていった。ごめんルキ兄、とレンが咳き込む俺の背中を撫でてくれる。しばらくすると様子を見ていたらしいリンとルカがおずおずと近寄ってきて、ああそういや終わってなかったんだと思い出す。差し出された氷嚢を受け取った。


「ルキくん、災難だったね」
「さすがに首、絞めるとは、ね」
「ミク姉はやりすぎだよ。あれ、何」
「さあ、ルカへの嫉妬、かな」
「はあ? 嫉妬?」
「なあにレン、嫉妬も知らないの」
「なっ、バカリン、それぐらい知ってるって!」


場を和ませようとしてくれてるのが少し痛い。頬に感じる冷たさが心地好くて目を閉じた。リンとレンは仲が良くて良いなあ。素直に思った。もう絞められていないのに息苦しい。好きなひとに嫌われるのも嫌いな人に好かれるのも、疲れる。たったふたつの感情が噛み合わないだけなのに。
もう大丈夫だからと言えばレンとの喧嘩をやめたリンが、そうなのと不安げな、怪訝な顔をする。再度苦笑する俺を見て、レンがリンの袖を引いた。ミク姉の様子見に行こう、と二人が出ていく。ルカがそれに手を振って、ため息をひとつ吐いた。お説教の合図だ。
もうこれ以上疲れたくはないかなあ。


「ルキ、あのね、」
「ごめんルカ、ちょっと」
「はい?」


腕を引っ張って側まで来てもらう。もう一度、ごめんと言いながら少し頬を撫でた。
ぺちん。
はたくと、ずいぶんと軽い音がした。ミクさんの真似ごと? ルカが目で問い掛けてくる。まあね、と氷嚢を彼女に返した。
諦められる気がした。












バイバイハニー
(ハローガーリー、ひとまずまっすぐ愛しておくれよ)
2010/10/26
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