花とウタ

オアシスを夢想

あなたといたい

ふと目を覚ますともうすでに格子から差し込む光があった。欠伸をひとつ噛み殺して格子から外を覗き込む。朱い柱と瓦屋根の並ぶ私たちの街は眠ったまま、薄靄に隠れたように柔らかな橙と青の光に包まれ起きるときを待っている。夏至に向かう今、日はどんどんと顔を出すのを早めて、陽射しまで変えていくのだろう。せっかちさん、と微かに笑って伸びをした。
自分の身支度を整えたあと、隣で眠っていた雨のそばに膝をつく。そしてそのまぶたにくちびるで触れたのち、名前を呼びながら体を揺すった。彼女は薄目を開いたが光に眉をひそめ、布団に潜り込んでしまう。

「あぁめ、ほら、寝坊助さんはよろしない。はよ起きよし」
「うぅ…さくら、だぁって、もう朝ならいっそ昼まで…」
「ならお茶でも淹れてきますしお好きな時に飲まはったらええんです。そのついでに鶴や鳳月と朝ごはんの支度でも…」
「…起きる」
「はい、おはようさん」

渋い顔だけを布団から覗かせた雨に、頬を寄せてやる。くちびるをそこにひとつ頂いたら離れて腕を引き上げた。雨にいつもの着物を示せば雨はそれに着替え、その間に私は二人分の布団を畳む。日は先程よりは昇り橙を消して僅かに白を増していた。物音のしないこの街の目覚めはまだ、と信じて着替えの済んだ雨の手を引いて外に出た。
夜露の降りた軒下から一歩踏み出し、雨はからりと笑う。

「さくら、今日はどこに行く」
「いつもは通らへん道にしてみよか。先のお茶屋さんの裏の、どこに抜けるか気になってはったやろ」
「そいつあ良い。行こう」

風を切ると冷たく濡れた朝の匂いがした。雨に手を引かれると、歩幅の違いか小走りになってしまう。同じリンであってもここまで違うものだろうか。毎朝の雨との散歩で毎朝思うことを今朝も思う。すこぅしゆっくり、と声をかけるとまた雨はからりとした笑みで、ああそうだったすまねえな、と答えるのだった。
目当ての道は茶屋の裏口に入るところを少し行って曲がると砂から石畳に化けていた。こつんこつんと雨も私もヒールを打ち鳴らしてしまうので、そぅっとそぅっと足を忍ばせながら歩く。雨と目が合うと可笑しくなってしまって微かに笑い声が洩れた。やや坂になっている道に面するのは黒く変質した木の柱で組み立てられた小洒落た茶屋や団子屋で、ひとつ掲げられた看板に蘇芳と藍鉄がよく手土産に持ってくる店の名を見つける。指を差して雨に知らせると、雨はひとしきりくつくつ笑ったあと行く先の山を指差した。

「二人、いや四人か、四人のいる神社の山だろこれ」
「なるほど。こっちは鳥居の裏やね。いつもは鳥居の側から来るから、やから気づかへんかったんやわ」
「そういうこったな。上がるか?」
「そやね……今度はお稲荷さんに遣るような土産物を持ってこよか」
「ん。じゃあ今日はここで折り返そう」

気づけば日はすっかり白く街を照らしていて、街そのものも息を潜めた気配はない。皆が家の中で起き出しているのだろう。外には誰もいないのを確認して雨と目を合わせ、細める。肌に触れるくちびるの感触や指先の体温は確かにやわらかく暖かく私たちを包み込むけれど、これもまた伝わるなら、良い。
今度はヒールを石畳に打ち付けつつ来た道を引き返す。目の前には私たちの街、さらに奥には桜並木と赤煉瓦のモダンな街がある。ああそうだ、扇舞に借りた本を返してしまわねばならない。胡蝶にはこないだ遣った桜餅を気に入っていたからもう一度作ってやろう。平たい皮で巻いたものを想像していたのだろう、粒の残る餅で包んだそれを見て目を丸くしていた。

「奥に見えるの、胡蝶たちんとこか? 胡蝶はさくらの作った餅気に入ってたからな。また持ってってやろうぜ」
「ふふ、雨はこわいわ。私とおぉんなじこと考えはる」
「こわい? 長ェこと一緒にいたらきっと同じことも考えら。それだけだろ」

可笑しくて堪らないという風に雨が笑うので、私も釣られて笑ってしまう。雨もあの桜餅好きやったね、と言うとなんの恥じた様子もなく、ばれてら、といっそう笑う。ああ、私はかわいい人を好きになったのだなあ、とふと胸に落ちる感慨を指先に乗せて頬に触れた。気づいた雨が私とくちびるを重ねてくる。
がたりと音を立てて時が止まった、気がした。跳ねる胸が忙しない。がんがんと血が頭の中でのたうちまわる。日は当然すっかり顔を出しているし街の空気は冷たさをなくしてざわりざわり私たちを撫ぜている。ああもう、この子は!

「ひっ、と、ひとまえ、で!」
「誰もいやしねえ」
「そういうことちゃう! もう朝だって早い、誰に見られたっておかしない」
「まあ確かに同じリン同士でおかしいとはおいらも思うさ。ただ『そういうことちゃう』。さくらが好きなんだ。触れたいくらい、いつだってどこだって思わせてくれ」

な? とばかりに首を傾げ微笑む雨に何も言えず押し黙る。同じリンであることを嫌がる私に、じゃああたしがレンになるよ、とまだ名前と服を与えられる前のこの子は言った。あの時と同じ笑みだ。変わらない彼女は優しいまま、ひどく荒っぽく私に詰め寄る。
取られた手を振り払えないまま、同じ歩幅で石畳を抜け茶屋の裏口を通り過ぎ、私たちの家まで。家の前で軽く打ち水をしていた鳳月が手の方に少し目を遣ったが、おかえんなさい、と言っただけで他は何もなかった。開けたままだった戸口から、鶴も声に気づいたのか出てきたが私たちを咎める気配はない。二人とも雨と同じで優しい。長く一緒にいるからだろうか?

「雨ッ子、今朝はどうだった」
「蘇芳たちの神社のある山の裏側に出た。今度胡蝶たちにはまた桜餅を持っていこうと話をしながら帰ってきた」
「そうか。朝飯なら出来てるぜ! 上がんな」
「こら鶴、まるで自分で作ったように言うんだねえ?」
「……朝飯なら鳳のあにさんが作ったのがあるぜ」
「よし」
「ははっ、鶴坊はなっさけねえなあ!」
「うるせえ!」

怒る鶴をかわして居間へと上がっていく雨と、身を翻して雨を追う鶴を目で見送る。つかまれていた手がじわりじわり熱を持って行き場をなくしている。そっと握り込むと、良かったな、と言いながら鳳月がこちらを見ていた。

「何がです」
「答えさせたいんなら答えてやらあ。ただ、そこまで私はへそ曲がりじゃあねェ」
「……」
「あねさんもあんまり雨を待たすな。私のリンだ、大事にしてやってくれ」
「……じゅうぶん、いけずなこと言うてはるやないの……」

握ったままの手を見つめる。外でこんな風に手を重ねただけで心臓がうるさいほど脈打つ。良かったなという鳳月の言葉を反芻し、深く息を吸った。良かった。良かった。とても、うれしい。
こん、と軽く音を立てて鳳月が家に戻っていくのをみとめ、その姿を追いかけた。明け方の散歩の時間を少し遅らせようと思う、と言うと彼女らはどう言うのだろうか。優しいから、何も言わずに微笑んでくれるだろうか。
戸口より内側でも朝方の澄んだぬくもりのある空気を感じて、私は微笑み、そっと、私たちに向かって口を開く。
2013/06/01
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