獅子王と陸奥守

獅子王は悩んでいた。悩みの種は小さな、けれど彼にとっては重大な問題であった。
「……じっちゃん」
ぼそ、と吐息に交えて出されてきた親しげな代名詞が、誰のことを指すのか。実のところ、本人もよく判っていなかった。いちばん最初の主だろうか。それとも長く贔屓にしてくれた当主の者たちであろうか。はたまた、別の。悶々と自分でも答えの出ぬ問題に頭をひねらせながらいつも肩に乗せている黒獅子にぼすんと顔をうずめてうぅうぅと唸り声を上げる様は、どうにも獅子が吠えると言うよりは子犬が怯えて物陰から鳴く様に似ていた。要するに彼は寂しいと言う感情を持て余していたのである。このようなときは体を動かして忘れるに限ると獅子王は思う。しかしどうにも外に出ていきづらい理由がまた獅子王を襲っていた。
ころんと首をまわして、中庭の方を見やる。いつものように晴れ渡って綺麗な青をした空と、よく映える緑が美しい。その真ん中、縁側に腰掛けて、ぼうっと虚空を仰ぐ者がひとり。一振り。
「なーあ、むつ」
「なぁーんじゃ」
慣れ親しんだその名を呼べば振り返ることなく陸奥守吉行は答えた。この本丸の中でも古参の獅子王と陸奥守は、刀の少ないときから長く共に戦ってきたのでどこか目に見えぬつながりのようなものを獅子王は感じていた。それは陸奥守とて同じであろう。しかしそれは黒獅子のようにあたたかなものでも、やわらかいものでもなかった。
陸奥守の背中にたらされるあちこちに跳ねる髪と橙の着物が風を受けて悠然となびく。けれど左腰に垂らされている鞘はびくともせず邪魔そうに床へと押し付けられていた。右腰のガンホルダーとて同様である。
「……拳銃の使い心地って、どうなんだ」
「んー? うん……とりあえず、うーん、こりゃあーうるさいき、耳がきーんとなるがで。ほれと、反動がちっくと肩に響く。装填しやあせんと六発じゃきこじゃんと敵がおると立ちまわれんにゃあ……ああ、刀使えばええんじゃけんど」
振り返らぬまま一気に答えきった陸奥守の表情を、獅子王は察することさえできなかった。そうして、ふうん、と自分から話を振ったものの返答に行き詰り、また黒獅子に顔をうずめた。失敗した、と呟いて。
——歴史を、変えてはいかんちや。けんど、ほんなら、なんでわしらにゃあ心が必要じゃったがや。
——龍馬を助けては、いかんがや。
頭の中によみがえってきた声に返事も出来ず、うぅうとまた唸り声を上げた獅子王に、なんちゅう声しゆう、とけらけらと笑って見せた陸奥守の眉尻は困ったように下がっていた。このとき陸奥守は獅子王の方を見ていたのだけれど彼は自身の目を閉じていたのでそれを知り得ず、ごめん、とだけ呟いてまた唸った。
「何がじゃ、おんしゃあ悪うない」
「……むつは心が広い。うらやましい」
「なんじゃあ急に。照れさすのう」
すり、と畳と足の裏が擦れる音が聞こえて顔を上げると陸奥守が獅子王を覗き込んでいた。親を見失い声を上げる子犬を拾う、人間のような顔であった。唐突に得られた安心感と、そして小さな恐怖のために目じりからぼやけだした視界をまた黒獅子にうずめて隠して、今度こそ獅子王はごめんと伝える。なんちゃあないと答え背中をさする陸奥守に、それでもとぼそぼそと会話を続けた。
「龍馬の拳銃、一丁見つかってねえんだってな」
「うん」
「調べた。スミス&ウェッソン、アーミーモデル、32口径、そして、装弾6発」
「うん」
この先を伝えるのは憚られた。陸奥守の手が止まったからである。
獅子王は陸奥守に確かな見えないつながりのようなものを感じていた。それはあたたかなものでも、やわらかいものでもなく、どちらかといえばどろりと粘ついてまとわりつくような、それでいて硬くて冷たい鋼のようなものであった。そして今、それを的確に表す言葉を見つける。——『拳銃を互いに向けあっている』。根源にある感情は、畏怖であった。
「俺たちが生まれるとき、自分の器以外にそんな海向こうのものが持てるものなのか。その拳銃、……龍馬のものか」
「……歴史を、変えてはおらんぜよ。龍馬のこと否定しちゃあないちや」
寺田屋で拾ったんじゃ、とぼそりと付け足した陸奥守に獅子王はまたあのつながりを感じる。龍馬に会いにいったのだ、この刀は。その秘密を知ってしまったのだ、この俺は。しかし獅子王の頭に駆け巡ったのは、同じように話せる秘密を持っていないということだった。
ぎゅうと抱きしめた黒獅子が獅子王の口元を覆う。呼吸が出来なくてもよかった。自分にも、主を思い出せるものが片手にほしかった。自分の器そのものではなく、主のものをそのまま自分の手に抱いていたかった。陸奥守の笑顔に獅子王は確かに惹かれてはいたがどこかほの暗いところをのぞいてしまったようで、持て余した心が獅子王を襲い、うぅと声を上げさせる。外に出ていこうにも陸奥守の手がまだ体に触れていた。
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