和泉守と陸奥守

本丸の朝はまず全員での朝食に始まり、そのときにその日の当番が言い渡され、解散となる。朝食時の席順は上座下座の別なく自由に、となっていたので仲の良い者がまとまって場所を取り、なれ合いを好まぬものは端へと自然と分かれていた。前者になるのが昔主同士が親しかったり主を同じくしていたりと昔なじみの刀たちで、今剣と岩融、粟田口の兄弟、加州や大和守に和泉守と堀川といった新選組の刀であり、後者にあたるのが大倶利伽羅に同田貫といった孤高を好む太刀どもである。そしてその中間にいるのが、なれ合いを好まぬわけでもなく、かといって特別に親しくしているものもいない打刀、陸奥守であった。
陸奥守は呼ばれればそこに座りぎゃあぎゃあと声を上げて話に高じるのだが、呼ばれないときは適当に空いてる席を取って近くの刀と一言二言言葉を交わして自分の当番だけ確認して準備や休息に戻る。そのことを短刀たちは本当は人と一緒にいたいけど恥ずかしがっているだけだと結論づけたのかよく声を掛けたが、他人に興味がないのか他人を受け入れているのか判別しがたい、と岩融や和泉守など取り仕切る役目に当たることの多い刀たちは思っていた。無関係だから声をかけぬのか。関心はあるが自分は邪魔と判断して遠慮しているだけなのか。和泉守は同じ幕末に生きた主を持ったものとして、しこりのように陸奥守のことを気にかけてはいたが、別段自分が進んで関わっていく必要もないと隣の堀川や加州、大和守と行動を共にするばかりだった。
——それが、である。
「兼さん、それじゃ、行ってきますね」
「おう、闇討ちでも暗殺でもなんでもして首取ってこい」
「兼さんはちゃんと畑仕事やってね、陸奥守さんにばっかり仕事任せちゃだめだよ」
「わぁーってる! はよ行け」
「う、うん、行ってきます」
何度となく振り返る堀川にしっしっとばかりに手を振り返し、ふうとため息をつく。今日の編成では主に活躍の少ない短刀や脇差、打刀の修練を目的とし、すでに十分な戦力を持っている者は内番を当てられた。力の弱い堀川他は当然のごとく前者に振られ、内番として屋敷に残った新選組の刀は和泉守のみであった。さらに悪い事に、宛てられた当番が手合せなんかならまだしも、苦手とする畑仕事である。もっともっと悪い事に、その当番の相手が、あまり話をしてこなかった陸奥守である。どうして刀が農具にならねばならないのだ、どうして土方歳三の刀が坂本龍馬の刀となんだ。無尽蔵に湧き上がる不満をぶつぶつとこぼしながら袖を巻き上げたは良いがやはりやる気になどならない。けれど人から仕事を怠けていたなどと思われるのは和泉守には不本意も不本意、鬼の副長の愛刀として意地でも絶対にあってはならぬことであった。どんどんと渡り廊下を軋ませながら庭に向かい、畑へと歩みを進めるとやはり嬉々として畑に入っている男の姿が見えた。——わかりあえない。
「おい、陸奥守」
「なんじゃあ、和泉守か。遅いぜよ」
にっかと笑って手招きする陸奥守に、和泉守は煩わしいような、しかし拍子抜けするようなどろりとした感情を覚え、首を振って気持ちを入れ替え畑に入る。一歩踏み出すだけで足が土にまみれた。仕事終わったら風呂に入る。決めた。土にまみれた手を荒っぽく裾で拭った陸奥守はその手で顔の汗をまた拭い、和泉守は顔をしかめる。
「なかなか来やーせんからさぼたーじゅっちゅう奴かと思っちょったちや」
「見送りに行ってただけだ、誰がサボるか」
「ほんならええんじゃ。ほれ」
投げ渡された鍬を握り、はぁと溜息を吐く。それを見咎めることもなく陸奥守は鼻歌交じりに畝を進んでいく。置いていかれたように感じた和泉守は、これも鍛錬と思ってとりあえず時間が過ぎるのを待とう、そう心に誓い鍬を竹刀のように握って土に振りおろした。
「なんじゃ、ええ構えしゆうにゃあ」
「……ふん」
音に振り返った陸奥守が笑う。土に鍬が刺さる感覚や日の光のあたたかさは、存外悪い物でもなかった。

 ○

食事当番をしていた歌仙と鶴丸に昼食だと呼ばれ、一旦仕事を中断させた二人はそのまま向かいの席に着いた。話す内容は特に険悪なものではなかったが畑のどこが日当たりが悪くなっているだの、水はけが違ってきただの、肥しが足りないせいだだの、陸奥守の御託に和泉守が付き合わされる形だった。その言葉の端々から和泉守が感じ取ったことは、陸奥守は商人である、ということだった。決して畑仕事が性に合っているとかいう、それだけではない。
「食いもん作るにゃ土と水とお天道様じゃ。この三つがうまい具合に揃っとらんと育つもんも育たん。育たんもんは、人様に出せん」
「人様、か」
「ここじゃと、……他の刀とかかえ? ここの食いもん横流しして資金源にしゆうかぁらんけんど」
「資金源にしてるかもしれないけど? ……そういう話は聞いたことも見たこともないな。作ったものは全部ここで消化してるんじゃないのか。ほら、これみたいに」
「ふふ、美味そうないもじゃ!」
にっと笑った陸奥守が手を合わせ、いただきますと歌仙や鶴丸に聴こえるくらいの声で叫んだ。それを合図に和泉守も軽く手を合わせてから箸を手に取り、目の前の甘辛煮に伸ばす。口の中に放り込むとじんわりと甘みが染み出してきて確かに美味い。調理した二人の腕も多分にあるのだろうが芋そのものが美味いのだろうか。よく畑仕事に当たる陸奥守に目をやると彼も同じことを思っていたのか美味い、とものを飲みこんでから呟いた。意外と行儀が良いのは坂本龍馬の影響だろうか。商人のようだと思うのも。和泉守はそこまで考えてから、ならば新選組に思う感情も、と思い当たり、首を振る。もう終わった話である。それこそ、時代は変わった。もう新選組だなんだという時代ではないのだ。
ひょいひょいと芋を口に放り込んで幾度か咀嚼してから、和泉守は目の前の男をじっと見つめる。いつの間にか手と顔まわりは綺麗に拭われ、土のにおいは服にこびりついてしまったものだけになっていた。そこでふと思い出すことがあり、陸奥守にたずねる。
「午後も畑に入るのか」
「うーん……大方の仕事は終わらせちゅうき、おまんは構わん」
「お前は入るのか」
「うん? ああ、そうじゃ。ちっくと残りゆうもんもあるき」
「なら俺も行く。陸奥守に任せっきりにするなって国広に言われてんだ」
「堀川に? ふぅん……嬉しいにゃあ、お願いするがや」
にっと笑って見せた陸奥守に安心し、目前の食事に戻る。手早く片付けて、仕事もさっさと終わらせて、また少し話でもしてみようという気が和泉守の中に起こっていた。相変わらず他人に興味があるのかないのかは判別が難しかったが、興味を示せば興味で返してくれる男だと、和泉守は思う。陸奥守にあるのは、丸っきり商人の感覚だ。損得勘定というやつではなくて、何か得たいものがあるときにそれに見合う何かを支払う必要があることや、人が何かを支払うときに裏で何を期待しているかを知っているのである。こういう奴は誠意を払えば誠意を返してくれるものだ。いずれ戦場においても背中を預けられるかもしれない。
甘みの強い芋を口に放り込みながら、午後の仕事について軽く説明を受け、共に食器をまとめて片付け担当の蛍丸に渡す。そのとき蛍丸は相変わらず感情の読めない大きな目でこちらを見上げてきたが、不意に微笑んでお仕事いってらっしゃいとだけ言って裏に戻っていった。食えないやつである。
二人して軽く髪を結い直し、畑に向かう。とんとんと軽い音を立てて渡り廊下を歩き、裏庭へ。先ほどよりは足取りが軽いことに気付き、和泉守はなんて現金なと自分を笑うしかなかった。陸奥守はそれをなんじゃあ楽しそうにしてとにやついた顔で咎めたが気になるものではない。話のきっかけに酒にでも誘うかとまで考えている始末である。そうするうちに畑にまでたどり着いてしまったが、さっと鍬を二本拾い、片方を陸奥守に投げ渡した。音もなくそれを受け取り、陸奥守も彼に応えるように笑う。
「よし、和泉守、もう一仕事じゃ」
「ん、ああ」
言葉を返して日の当たる場所に足を踏み入れたが、今の会話で得た違和感を消化しておこうと顔を上げ、陸奥守を呼び止める。振り返った彼に声を張り上げる。
「俺のことは兼定で良い。他の奴らにそう呼ばれてるんだ、和泉守はきもちがわるい」
「そうかえ? ほんなら兼定と呼ばしてもらうき、わしも陸奥守と呼ぶんは止しとおせ」
ほら、同じ行為を返してきた。
得意げに笑った兼定であったが、次の彼の言葉で固まることになる。
「吉行でええちや」
そうか。そうだよな。そりゃあ、そうだよな。
自分の考えが少し及ばなかったことを、兼定は恥じるしかなかった。吉行は自分をどう見ているのだろうか。上げられなくなった顔でぼそぼそとそうだなでも急には変えられないからななどと返事をしたが、吉行がどう返したのか彼の耳には届いていなかった。そして当然のごとくそこからの仕事にはあまり集中できず、また少し話でもというわけにもいかず、兼定の中のしこりはまた別の形で残ることになったのである。
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