遠くて近い、近くて遠い

 新選組局長が佩刀として名高くも、贋作。それが自分であると長曽祢虎徹は思う。
 付喪神として顕現し、このかつての部下もいる本丸を訪れて早二ヶ月。人の身の扱いにも慣れ、贋作と言えど己の力を信じる者に自らの働きでもって報いることも十分に出来るようになってきた。遠征や合戦を繰り返し練度を上げてきた成果である。
 そして今はその合戦に向かう、真っ只中であった。部隊は長らく我らを率いてきたという熟練の者達。正直なところ、向かう先にいる敵の強さは判っているし、そいつらでは自分たちには刃が立たぬほどの力の差があることも判っていた。
 それでも自分が、この高練度の者達と向かうという、この現状は——ぐっと手綱を握りしめると隣にいた堀川が穏やかに、なだめるように笑った。
「長曽祢さん、大丈夫ですよ」
「……ああ」
 そうでないときは斬り殺してくれ。
 心の中に飲みこんだ言葉を、堀川は察したようでそっと馬と馬の距離を保ちながら口をつぐむ。その向こうで並走していた和泉守は難しい顔をしていたが、一度目をぎゅっとつぶって首を振った。そして馬を走らせ、加州や大和守と並ぶように頭一つ先をゆく。
 向かう先は、鳥羽。維新側の長とも言える坂本龍馬が佩刀は今はいない。
 大丈夫だ、と長曽祢は堀川の言葉を反芻して前を見据える。鳥羽で行われるこの戦いは、刀の時代の存続もしくは消滅を賭けた戦いである。ここでもしも流れを変えていたらどうなっていただろう? 自分は近藤勇が佩刀としていつまでも使われていただろうか。いつまでも、愛されていただろうか。——そんなのは、すべて、感傷だ。
 今から行われる戦いは決して歴史改変部隊との戦いという、それだけではない。鳥羽に行きたい、と言い出したのは長曽祢だ。理由も訊かず、肯いたのは堀川国広。そこに大和守も無言で同意した。何か言いたげに、しかし堀川と大和守を見て口をつぐみ、和泉守を小突いたのが加州。和泉守は最初からじっと自分を見据えていた。それで良いのか、と小さく問われた。ああ、とたった一言で答えたのも自分だ。
 彼らは詳細を知らない。けれど自分を知っている。長曽祢はその確信だけで彼らを頼った。彼らもその信頼の返し方を知っていた。五人だけの部隊が、鳥羽の地にたどり着き、敵を見据える。
「こんどーさん、いこ」
 沖田総司が佩刀二振りが笑い、土方歳三が佩刀二振りは頷く。音もなく五振りの刀が抜かれ、きらきらと光を返す。
「ああ。では参ろう……兼定、国広、清光、安定、総員準備は良いな? 斬り込むぞ!」
 感傷に飲まれぬことを、それだけの強さを手に入れたことを確かめるのだ、長曽祢はそう心の内で呟いて、以前この地に訪れたときに掛けられたあの声を思い出す。

 ○

 総員無事に帰還したと号令があったとき、陸奥守は反射的に隠れなければ、と思った。
 幸い夕飯は先に済ませていて、あとは一風呂浴びて眠るだけだ。風呂は大浴場だから誰かと鉢合わせるのもつらい。明日の朝にまわして、もう部屋に戻って寝てしまおう、そう思って門から背を向け、自室に走る。
 今日の出陣は新選組の刀だけの部隊だった。向かう先は(これ見よがしというべきだろうか?)、新選組の長の刀と自分が揉めた鳥羽。何の嫌味だろうか。かつての仲間を引き連れて、自分の感傷に浸りにでも行ったのか? あの不言実行を信念とする男の行動はいつもよくわからない。何がわかっているというのだ。何が働きだ。刀は人を斬り殺すだけが能ではない。
 襖を閉めて、その場にへたり込む。長曽祢虎徹を見ると妙に苛立ってしまうのが自分でも良く分かっていなかった。刀としての働きに固執する者は多い。美術品扱いや無用の長物となることを嫌う者がいるのが証拠だ。
 しかし加州清光や大和守安定は物だもん飽きられることもあるよねと泣きはらした目で笑って受け入れ、かつての主を死ぬほど愛し返していることを語る。和泉守兼定や堀川国広だってそうだ。刀として戦えることを心底喜んではいるが、刀は終わったと認め、かつての主の矜持を守ろうとしている。
 長曽祢虎徹は? 彼が守ろうとしているのは、なんだ。かつての主の矜持か。はたまた刀の時代か。それとも、もっと言いきってしまえば、実力を発揮する自分そのものか。苛立つ。苛立って仕方がない。考えれば考えるほど疑ってしまう自分にも嫌気がさす。
 けれどもこの苛立ちをおおっぴらにするのは愚の骨頂だ。隠したいならば他者から距離を置いて、一晩寝て頭を冷やせば良い。陸奥守はふぅ、と熱が籠ってしまった溜息をひとつして、寝ると言うのなら布団を敷かねばと無理に思考をずらした。そうだ、立ち上がって、押入れを開けて——とん、と足音が聞こえてそこで陸奥守は息を止めた。
 とん、とん、と部屋に近づくその足音。音からわかる歩幅、重み、そして徐々に判る息遣い。それらすべてで判る。長曽祢虎徹が、部屋に向かってきている。
 案の定その足音は自分の部屋の目の前で止まった。襖の目の前でへたり込んだまま、陸奥守は息を潜めて、激情を溢れさせまいと、長曽祢に存在が知られぬようにと祈る。しかし無情にも、数秒の間の後、息を吸う音が聞こえた。そして、言葉がひとつ。
「いるか」
 ああ。絶望のようなものを感じながら、陸奥守は手を強く握りしめる。
 長曽祢は返事を待ったが一向に返されないことにしびれを切らしたのか、歯切れ悪くも話をつづけた。
「陸奥守は風呂か部屋かと聞いて、風呂を覗いてきたがいなかった。ここにいるんだろう? 部屋に無理に入ったりはしないから、このまま、話を聞いてほしい」
 やはり返事をせずにいると、緊張をほぐすかのように息をついて、長曽祢が語り出す。
「以前鳥羽で言った言葉を覚えているか? 感傷、だと言ったな。刀の時代を続けたいなどと、あの場で流れを変えられればなどと思うことは、感傷だと。確かにそうだ、と今ははっきりわかっているつもりだ。あの時は言葉だけで、中身が伴っていなかったが」
「……ほうかえ」
 たまらず返した言葉に、長曽祢がふふっと鼻を鳴らした。
「ああ、やっぱりいるんじゃないか」
 そして同時にとす、と襖に手を掛けるような音がする。しかし先ほど言ったように開ける気はないようだ。あくまで距離を詰めているという実感の表れか。調子に乗ってもらっては困る、と陸奥守は内心毒づく。
 それで、と先を促すと長曽祢は声を固いものに戻して、ゆっくり、言葉を選ぶような時間を使いながら話を再開する。
「今ならわかるんだ。自分が何を求められていて、自分が行動で返すべきものは何なのか。自分がどうしたいのか。感傷に飲まれずにいるために今日はあいつらに監視を頼んだが、今度はお前と行ったってもうあんな風に言い合うことにはならんだろう」
「あんときのこと、謝りたいがか?」
 ぐっと手を握りしめて、陸奥守は言い放つ。長曽祢は続きを待っているのか、答えに詰まったのか無言のままだ。息を大きく吸い込んで、まくし立てるように、陸奥守は続けた。
「それやったらお門違いやき。あんときのおまんは確かに感傷が過ぎたけんど、なんも、謝ったり謝れたりするようながはしちょらんきに、やき、おまんは、」
「吉行」
 言葉を交わすのは苦手であるという、長曽祢に名を呼ばれ陸奥守は言葉を詰まらせた。襖をたった一枚隔てただけの近距離で、会話は続いていれど言葉を交わせてているのかいないのか。しかし確実に、心を交し合うことなく、二人の呼吸は乱れていく。
「陸奥守吉行、おれは過去を守りたいのだ。和泉守が泣いて国広を諫めた話も聞いている。あの愛されたがりの二人ですら自らの主の死さえも愛して歴史を守ろうとしている。おれも守りたい。刀の時代の終わりだって、近藤勇の無念だって、ぜんぶ」
 わかっている、と呟くのは、長曽祢ではない。
「吉行、お前は、坂本龍馬の作った未来を守りたい。そうだろう? それを、おれの感傷ごときで否定してすまなかった」
「黙っ、ああ、もう、やきおまんと話すがは嫌ながよ……」
 言いかけた言葉は、陸奥守自身の方が堪えた。どん、と大きく音を立てて襖に頭をぶつける。そのあたりに視線を合わせるかのように長曽祢のしゃがむような音がした。泣いているのかと長曽祢は小さく問い、まさか、と陸奥守はたった一言で答える。
 無言のまま、襖一枚の向こうに相手がいることを知りながら、決して顔を合わせることなく二人の呼吸は続く。
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