厨での話

 腹が減った。とても。そう自覚したとたん、ぐぎゅるるる、と誰かの腹の虫が鳴いた。それは晴れやかな青空のもとに、盛大に響いた。
 そしてそれを聞いた歌仙は鳩が豆鉄砲を食らったように目を丸くさせ、ぷっ、と大げさすぎるほどに吹き出す。
「あっはっは! 大倶利伽羅、君もやはり人の身で生きているんだねえ!」
 畑仕事を言いつけられ不機嫌だったこともどこかに吹き飛ばした爽やかな笑みで、同じ当番であった大倶利伽羅を見る。
 珍妙と言うべきか滑稽と言うべきか、腹の虫を鳴かせた当の本人にとってはひどく面汚しな音だったのだろう。人よりも黒い肌でも顔を赤く染めたのだと判るほど、土をいじる手を止め、肩を震わせている。大倶利伽羅、と名を呼ぶと、やや息の詰まったような声でなんでもないとだけ言って作業を再開した。
 大倶利伽羅の機嫌の良し悪しは、意外と単純だ。それくらいのことは付き合いのない歌仙にも判っている。笑ってしまったのがだめだったろうか、と少しの思案ののち、歌仙は大倶利伽羅の側に寄った。視線の高さを合わせた上で、穏やかに目を細める。
「君、今思い出したのだけど燭台切に畑仕事が終わったら勝手の方に来るよう伝えてくれと言われていたんだ。もう仕事は僕が片付けておくから、そちらに行っておいで」
 ほら、と急かしてやると大倶利伽羅は無言のまま歌仙を見、わかった、とだけ呟いて畑を出た。その後ろ姿を見送って、一人残った歌仙はぽつりとつぶやく。
「……枯葉色の肌に赤みが刺すとまるで紅葉のようだねえ」
 紅葉と言えば秋、秋といえば萩。くすくすと微笑を零しつつ一人にしては大量に残ってしまった仕事量を考えて歌仙はため息を吐いた。
「して、そこで涼んでいる狐たちよ」
 鋭く目つきを変えた歌仙の視線の先にいるのは木漏れ日がきらめく木陰で並んでこちらを見ていた狐二人とその片割れのお供である。
「ややっ、歌仙様何をおっしゃりますか! 我々はただ涼んでいるわけではございません! 馬当番という重労働を終えた鳴狐と小狐丸様がその身を休め、」
「御託は良い。付き合ってくれないかな?」
「断ると言ったら?」
「この歌仙兼定、一介の打刀ごときに太刀の竜神様の前で嘘を吐く勇気はないからね。竜の愛し子の腹の虫の音を聞いたくらいでもそのお怒りに触れるかもしれない」
「鶴丸と燭台切に告げ口、とは……性の悪い奴よ……」
「歌仙様も口の達者な……」
 しぶしぶと言った調子で立ち上がるがそれでもやる気を見せない二人と一匹に、歌仙は勝手を預かる一人として、この本丸にいるほとんどの刀剣男士を懐柔できる一言を言い放つ。
「はは、そうだね。手伝ってくれたら今日の献立を君たちの好みに合わせてあげよう」
「この狐、歌仙兼定もあっと驚くほどの多大なる働きをご覧に入れましょうぞ! 小さいけれど! 多大な! ところできつねうどんを頼む」
「……お稲荷さん……」
「私は厚揚げにおろしポン酢でさっぱりと! 人一倍、いいえ狐一倍働きますので! 私めにも美味しい厚揚げを! ああっ神様仏様歌仙様!!」
「ほんっと君たち、現金だね」

 ○

「光忠、いるか」
「あ、倶利ちゃん!」
「おっ倶利坊、仕事終わったのか? お疲れ様」
「歌仙が気をまわしてくれた」
 大倶利伽羅が燭台切を訪れると、燭台切だけでなく鶴丸もそこにいた。彼らは大倶利伽羅の訪れを合図に作業していた手を止めて軽く洗い、まるで口裏でも合わせていたかのように大倶利伽羅に鶴丸が水を、燭台切が手拭いを寄越した。
 それらを大倶利伽羅もためらいなく受け取って、水を飲み干し、手拭いで汗を拭きとる。空になった湯呑と泥のついた手拭いを受け取って、燭台切がこれだけしっかり働いてくれたならきっと美味しい野菜が育つだろうね、と笑った。
 悠に四十を超える刀剣男士の胃袋を支える本丸の御厨は、かなり大きく作られている。それだけならまだしも、釜や米櫃も通常のものよりひとまわり大きいものが用意されている。大倶利伽羅も食事当番としてこの場所に立つこともあるが歩き回ることも多く、火の様子を見ながら釜の中を掻きまわして、と言った作業は戦とはまた違った重労働だ。天窓もあり場所自体の空気は明るいのがまだ救いだが、この当番はあまり好かれたものではない。燭台切や歌仙は別として、だ。自分はどちらに当たるのだろうか。他の刀剣男士と同じように好きな仕事ではないが、しかし。
 ぼうっと釜の方を見る大倶利伽羅に気づいたのか、燭台切がよし、と一声かけて厨の隅に隠すように置いてあった紙箱を取り出した。
「倶利ちゃんも、鶴丸さんもお腹空いただろう? ちょっとお茶にしよう」
「よしきた!」
 楽しそうに返事をした鶴丸にその箱を預けて、次に急須を取り出す。そして薬缶に水を入れて火にかけた燭台切の後ろで鶴丸は箱を開けて、一段階小さい箱されたをみっつ手に取った。そして出された時のように戻して仕舞い直す。
 お茶が淹れられるのを待つ間に鶴丸と大倶利伽羅で湯呑をそろえて、お盆に乗せたところで燭台切が言った。
「そのお菓子、みんなには内緒だからここで食べちゃおう。お行儀悪いけど、居間に持って行くのはナシで」
「わかった」
 博愛主義的なところのある光忠に珍しい、と思いながら言われた通り盆を調理台の上に置いて、大倶利伽羅は小箱を手に取った。萩の月、と書かれたそれ。
「仙台銘菓?」
「この間の遠征のお土産なんだ。政宗公のいたところの有名なおみやげだっていうから、つい、ね。倶利ちゃんと鶴丸さんと一緒に食べたくて」
「なるほど、だから内緒なのか! いやはや、驚いた。良い驚きだ」
 照れたようにはにかむ燭台切の頭をぐりぐりと撫でまわす鶴丸を横目に、大倶利伽羅もつられて笑みを零す。二人が髪が乱れるよ、いや撫でるくらい良いだろうと言って問答している内に、薬缶がピーッと音を立てた。燭台切が慌てて火を止めたものの、少しばかり調子に乗ったらしい鶴丸のせいで髪型が崩れに崩れている。隠し切れない笑みを顔を背けてごまかしつつ、燭台切より早く大倶利伽羅が薬缶を掴んだ。
 薬缶から、一度湯呑にお湯を注いで熱を移し、急須へと注ぎ直す。ぶわりと広がる深い緑の茶葉と、鮮やかでいて澄んだ緑が抽出され始めたのを確認して、蓋をする。顔を上げると、その作業をにやにやと、子の成長を見守るような目で見ていた燭台切と鶴丸がいた。あからさまに顔をしかめて見せる。
 蒸らしを待つ間を持たせるように、燭台切がそうだ、と話を切り出した。
「それでね倶利ちゃん、これ食べたらちょっと手伝ってほしいんだけど」
「なんだ」
 燭台切に指さされるところ、薬缶のあった隣の釜を覗くと、大量の枝豆が茹で上がったまま置かれていた。視線を上げると今度は鶴丸が得意げに答える。
「ずんだもちだ! お前たちの大好きな政宗公が生み出したとかいう、あの! ずんだもち! 夕餉のあとのデザートに作るぞ!」
「……手伝いくらいなら、やる」
 はあ、とため息を吐きながら急須から湯呑へとお茶を移す。その姿を見て、不服そうにしていてもしっかりやる気があることを燭台切も鶴丸もわかっていた。自分のものは自分で、という責任感のつよい子だ。食べたいものを作る手伝いを断るわけがない。
「じゃあ、食べ終わったら一緒に枝豆の皮を剥こうか。豆にかかった薄皮も取ってね」
「ああ」
 説明を受けながら、もう不機嫌そうにはしていないのを見て燭台切も鶴丸もほら言わんことじゃないと顔を見合わせて微笑んだ。それを不思議そうに見ながら、大倶利伽羅はそれぞれに湯呑を手渡して箱を開けた。袋に包まれて、こがね色のふんわりと膨らんだ饅頭型のカステラが出てくる。見た目よりも重たく感じるのは中に何か入っているからだろうか。
 それを早速裂いて広げながら鶴丸が言う。
「地道な作業になるぞ。俺はたぶん、早々に飽きる」
「何だいその宣言……飽きないように三人でやるんだから、鶴丸さんは驚き求めたりして余計なことしないでね?」
 燭台切もそれに倣って袋を開いた。あまい洋菓子のにおいが漂ってきてたまらず大倶利伽羅も萩の月を取り出す。
「いただきます」
 タイミングを計ったかのように、三人の声が揃った。そしてやはり同じタイミングでそれにかぶりつく。うまい、と最初に声を上げたのは鶴丸だった。
「甘すぎるきらいはあるが、うまいな。中はカスタードか」
「うん、美味しいね。これだったら緑茶より紅茶にすべきだった」
「俺はコーヒーが良い」
「ああ、それも良いな。……いや、それより小さい。すぐ食べきってしまう」
「鶴丸さんは食べるの速すぎるよ」
 天窓から入った日差しの中、三人が思い思いに感想を述べる。ぺろりと、二、三口で食べきってしまった鶴丸はずずっとお茶をすする間、燭台切と大倶利伽羅は目を合わせて仕方ないなあとばかりに笑って自分の分をほおばった。見た目通りに優しい食感のカステラにとろけるようなクリームの甘さが一口ごとに広がるようで、自然と笑みがこぼれる。
 そうしてもう一口、もう一口と少しずつとは言え食べ終えてしまった燭台切が手を軽くはたきながら、思い出したように二人に尋ねる。
「ずんだ作り手伝ってくれたお礼に今日の晩ご飯は二人の好きなのにしようと思うんだけど、何が良いかな」
「おっ良いねえ、それなら、せっかくだから伊達にまつわるものが良いかな。倶利坊は?」
「俺は、」
 嬉しそうに眼を輝かせた鶴丸と、口を開こうと萩の月を飲みこんだ大倶利伽羅の後ろでガタリと戸が開いた。
「そんな……今日の献立は……私のきつねうどんは……」
「……おいなり……さん……」
「私めの厚揚げはああああ!!」
 三人そろって振り返ると、そこにはわなわなと震える狐共二人と一匹、さらにその奥に頭を抱えた歌仙がいた。聞けば仕事を手伝ってもらう代わりに約束をしてしまった、思ったより早く仕事が片付いたからこのまま夕餉の準備も手伝わせようとした、と言う。
「すまない、鶴丸や大倶利伽羅の好きなものはまた明日にでも作ってやるから今日は譲ってくれないか。……この通りだから」
 歌仙が指差した先では狐組がすでに油揚げを手に懇願するようなそぶりを見せている。懇願と言うよりはむしろ脅迫だな、と三人は顔を見合わせた。ふふっ、と同時に吹き出す。
 ひとしきり笑って、代表するように燭台切が答える。
「じゃあ晩ご飯の準備はお願いしても良いかな? 代わりにこっちは別の作業してるから」
「ああっ燭台切様!! ありがたいお言葉!!」
「ちょっとお供は口を閉じろ」
 歌仙に制されながらも燭台切の一言で一気に上機嫌になった二人と一匹と同じように、どことなく伊達にいた三人も上機嫌だ。萩の月の箱やお茶を手際よく片して、釜ごと別の場所に移し、すり鉢とくずかごを側に用意して囲む。
「なんだかここにこんなにたくさんの人がいるの、初めてな気がする。楽しいねえ」
 ぽつりと呟かれた燭台切の言葉に返事をしたものはいない。歌仙や鳴狐、小狐丸はわぁわぁと騒ぎながら調理に挑んでいて聞こえなかったのだろう。
 しかし、燭台切の目の前で、大倶利伽羅も鶴丸もどこか満足げに頷いたのはきちんと彼には見えていた。
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