獣の本能

 ——今晩、部屋に行く。
 陸奥守は本丸全員での夕餉のあと、長曽祢に耳打ちされた言葉を思い出して、ふる、と身を震わせた。どうにもあの男の低い声はこの身体に毒だ。ふわっと意識も体温も舞い上がって、はらの奥底でずくんと熱がうずくような感じがする。
 長曽祢虎徹と陸奥守吉行が恋仲になったのは、そう最近のことではない。互いの存在を知ったのだってもはや何百年と前の幕末当時のことで今のこの本丸に来てからもすでに何年と経っている。仲間となってすぐは言い合うこともあったが今では落ち着いたもので元維新側、新選組の長の佩刀としてどこか通じ合うものがあると認め合えるまでになった。そして、その流れで隣にいることも増えた。
 この関係に名前をつけるなら、恋仲が近いと思う、と言い出したのは陸奥守で、名前をつけなければいけないのか、と笑ったのが長曽祢だ。そして長曽祢はもう一言付け足した。お前が望むというなら俺も同じものを望んでいるのだろう、と。それで十分だった。かくして陸奥守は自分たちの関係を表す明確な言葉を手に入れたが、しかし。
 しかし、いかんせん、恋仲ではなかった期間が長すぎた。慕情、ひいては劣情を通わせる仲であるというのにそういった意志で触れることがどうにももどかしくて出来ない。からだの中で触れたい触れられたいと熱が渦巻いているのに今までの距離感で満足してしまう心地もある。
 そうして一人悶々しているところを見抜かれたのだろうか。食べ終えた膳を下げ一足先に大間を出ようとしたところを呼び止められ、今晩、部屋に行く、とそう耳打ちされた。
「こ、れで、触ってこんかったら、男やないろ……」
 つまりそういう目的だ。陸奥守は突然宣告された契りの訪れにひどく困惑していた。部屋に布団を敷き、そこに座って、じっと考え込む。そもそも長曽祢はどこまでわかっているのだろうか。道具は部屋にある。長曽祢が源清麿の打った刀ならば生まれは陸奥守の方が先やも知れぬが、体格差のこともある。自分が稚児の役割をする可能性を考えて身も清めた。そして気づく。
「わし、準備万端すぎじゃぁ……っ」
 引かれやしないだろうか。こんなところで幻滅しないだろうが、もう少しうぶなくらいが喜ばれたりするんじゃ、いやでもこれくらいしないと双方負担が、そうだ、負担が。何度か自分に言い聞かせるように負担が負担がと呟いて呼吸を整える。
 まだ開かぬ障子にちらりと目を遣るとちょうどとんとんと足音が聞こえてきた。その足音の主はちょうど部屋の前で立ち止まり、入るぞ、とあの低い声を発する。どうぞ、と短く答えた自分の声がひどくかすれていて陸奥守は心臓がどくんと跳ねた。
 障子を後ろ手に閉める長曽祢が、陸奥守を見下ろす。布団の上で、夜着をほんの少し着崩して、顔を赤く火照らせて——これを食わずして、男たりえるだろうか。
「な、がそね、おまん、」
「……意図は、判っているんだろう?」
 べろりと舌なめずりをした長曽祢に何かを感じ取って、じり、と陸奥守が一歩後ずさる。しかしそれに覆いかぶさるように長曽祢が膝をつく。腕も陸奥守を挟み込むようについてずいと顔を寄せた。ほんの一秒、怯えたように潤んだ目と本能を宿した獣の目が見つめ合って、感覚を確かめるように触れるだけのキスをひとつ。離れてもう一度お互いの目に熱が宿ったのを確かめ合って、深く貪り合うように口を吸った。
 ぴちゃ、と唾液のつたう音とともにしゅるしゅるという衣擦れの音が重なる。陸奥守は縋るように長曽祢の首に腕を回し、長曽祢は夜着の袷を裂いて胸に手を這わせる。くすぐったさではない、ぞわりと身体を駆け上る感覚に陸奥守は身をよじったが口吸いが終わる様子がない。次第に鼻から抜けるような、甘ったるい声まで漏れ出してくる。
 やっとのことで長曽祢が陸奥守から唇を離したときもはや陸奥守はぼろぼろと涙を零しながら肩で呼吸をする始末だった。その口の端からつぅっと唾液が垂れる。それをぬぐいもせず、陸奥守は長曽祢を睨みつけた。
「おま、ん、がっつきすぎじゃ……!」
「長く触れたかったものが目の前にあるんだ、こうもなるだろう」
 長曽祢の指が、陸奥守の唾液をぬぐう。その指を今度は見せつけるように自分で舐めとりながら、長曽祢は陸奥守の姿を見下ろした。布団の上なのは変わらないが先ほどよりも乱れた服、上気した肌、涙目で睨みつける、この悩ましさ。食いたい。今すぐに、めちゃくちゃにしてしまいたい。しかしがっつきすぎだと怒られたばかりだ。
 今度は手を陸奥守の髪を梳くように添え、目にかかった前髪を払いながら、まっすぐに見つめて長曽祢は言い放った。
「嫌なら、やめるぞ」
 それを聞いてさらに怒りを強めて陸奥守は叫ぶように返す。
「今さら無理じゃ!」
 その言葉を皮切りに噛みつくように唇を合わせる。舌を絡ませ合う内にどちらのともつかぬ情事の声が漏れた。
 双方本能をぶつけ合うように体を重ねて、夜は更ける。
inserted by FC2 system