花冠を戴くさみしがり

 本丸の庭に植えられた桜はもう葉になり、鮮やかな緑が眩しいほどになっていた。その足元では、燭台切光忠がいつもの黒い洋服を身にまとい、同じ部隊の面々と共に出陣の準備をしている。
 準備と言っても、装備の確認をするくらいで大した作業量ではない。壊れた刀装は屋敷の中で補充したし、馬も幾度と合戦場に駆り出されて落ち着いたものだ。衣装に綻びがないかを確認し、自分が乗る予定の馬の首元をひと撫でしたのち燭台切は顔を上げて仲間を見た。
 大倶利伽羅、鶴丸国永、鳴狐、御手杵、太郎太刀。皆、燭台切と同じように軽く身支度を整え馬の様子や本体の切れ味を目視している。しかしその面持ちは固く、皆どこか緊張の色を見せていた。見送りに立つ短刀らも、花を摘んで遊んでいたのか手元を花と泥で汚しながらもその手を止め、同じような面持ちでそっとこちらを窺っている。何もわからぬ五虎退の虎だけが、落ちた花を追って騒がしく駆け回っている。
 短刀らに手を振りながら、仕方ない、と燭台切も思う。この部隊は編成されてから日も浅い。自分のへの字に曲がった口角をゆっくりと持ち上げ、努めて明るい声色で話しかける。
「皆、先の戦では上手く連携が取れなかった! けれど、その点については十分反省と対策を講じたはずだ! 落ち着いて、そして格好良くいこう!」
 自分で思うより隊長然とした堂々たる話しぶりになったと満足すると同時に、皆が口々に「わかってるよ」「もちろんですとも」と返事をくれる。返事がなかったのは大倶利伽羅(と、鳴狐のお供ではない人の方)だけだったが、これはいつものことだ。黙って馬にまたがり、出陣の号令をかけた。隊員もそれに続く。門が開いて、時を跨ぐ時空の穴がぽっかりと自分たちを飲みこんだ。

 歴史を改竄しようとする軍勢と、それを阻止する我らが刀剣男士。二勢力の戦いが激化するにつれ、新勢力、検非違使が出現した。検非違使の目的は『異物の排除』、これのみ。
 『歴史を変える』『正史を守る』そのどちらにも沿わぬ目的を持った彼らの敵意は、つまり遡行軍に向かうだけでなく歴史から外れてしまった人間や刀剣男士たちにも向いている。しかもこちらの練度をしっかりと把握してそれに合わせた強さで現れるという無駄のない編成を見せてくるのだから性質が悪い。きっと親玉は頭が切れるのだろう。現に、こちらの刀剣男士も何度となく死の淵に瀕してきた。
 検非違使に対抗するには、という題で作戦会議が幾度となく行われた。練度の高い一軍のものたちだけで検非違使討伐に向かったこともあったが、検非違使の固い刀装を貫けず、苦戦を強いられた。練度の問題でない、となると次に考えられるのは編成の差異だ。
 一軍は脇差と打刀が半数を占める速攻型の編成を取っていた。しかしそれでは本体に届かないということでれば打撃や衝力を重視すればよい。そうして幾度かの試行錯誤の後、二軍として燭台切たちが招集された。打撃に重きを置きながらも皆等しく誉が取れるようにと考えられた編成で、出来るだけ練度にも差が出ないようになっている。慣れればこの本丸にとって十分な戦力となるだろう。
 そういう期待を負った部隊が自分たちであると燭台切自身もわかっていた。強敵と戦い、勝つこと。しかも、出来るだけ無傷で。一軍の裏でまるで消化試合のように合戦に出ていた自分たちには格好の晴れ舞台であり、少々荷の重い本番だった。
 先の戦では連携の穴を突かれ、隊長である燭台切自身が背中を取られた。その窮地は比較的足の速い鳴狐に救われて無傷で済んだものの、次またこういうことがあれば、と考えてしまってはぞっとする。
 次はどうかこんなことのないように、と燭台切は大倶利伽羅を見て溜息を吐く。太郎や御手杵はその本体の大きさから自由に動けたものではないし隊長の目に入る場所で戦ってくれる。鶴丸もトリッキーな戦い方を好むが仲間の行動も計算した上での戦法だから安心して任せて良い。鳴狐も大人しい性格でもとより周りへの気遣いが強い方だから、自分たちが取りこぼした敵を確実に拾ってくれる、心強い味方であった。皆、決して無茶はしない。
 唯一、独断行動で読めない無茶をしてしまうのが大倶利伽羅であった。

 うねる空間から吐き出された先ではすでに歴史遡行軍が待ち構えていた。全員で、戦い慣れた敵であったことに一抹の安堵を覚えた——のも、束の間。敵の姿がばっくりと割れた。
「クソッ、検非違使だ」
「開幕早々、だね」
 斬り伏せられた遡行軍の背後から、ぎら、と青い鬼火のような目がこちらを睨んでくる。まだ遠くにいるというのにはっきりと判る、この敵意。出来れば出会いたくない相手だった。強さの問題だけではない。この先、どれほど血が流れたとしてもそこに得るものがないと皆わかっていたのだ。
 この戦は守る戦いだ。勝って得るものなし、負けて失うものあまた、今ある正史を守る、ただそれだけの。つまり自分たちは勝たねばならない。
 一人先を走っていた大倶利伽羅に並ぶよう光忠が馬を寄せ、目配せをすると彼はぎゅっと眉を寄せたのち顔を逸らして前を見た。ちゃんと戦えと言うことだろうか。同じように目を前にやると検非違使たちはすでに刀を構えていた。
 すぅ、と光忠が小さく息を吸うのを合図に皆も刀を構える。
「長船派の祖、光忠が一振り……参る!」
 馬が大地を、空を蹴る。キィンと鋭く鳴り渡る鋼の音が、戦いの始まりを示した。イの一番に駆けだしたのは部隊唯一の打刀、鳴狐と、刀装で限界まで機動を上げた鶴丸だ。
 作戦会議で何度も打ち合わせた通りの行動だ。二人の役目は先陣を切って道を開くこと。あとは燭台切と大倶利伽羅が敵の意識を集め、軽くいなしておけば良い。とどめは背後に回り込んだ御手杵と太郎がつけてくれる。ただし、最後列の御手杵たちで敵を仕留められなければ、敵味方入り混じった場所で戦は泥沼化する。
 前回はそうしていつの間にか大倶利伽羅が部隊から離れていた。燭台切と大倶利伽羅は同じ太刀であることと伊達にいた頃の馴染みもあって、息を合わせやすいだろうと周りから期待されていた。燭台切もそう思って、黙って大倶利伽羅に背中を預けた。背中だけでない。死角になりがちな右手側全般を彼に任せたつもりだった。それなのに、彼が、はぐれた。二度とあっていい失態ではない。
 鶴丸たちの背中を追いながら、燭台切は柄を握って唇を噛む。
「大倶利伽羅! 僕から離れてくれるなよ」
 返事はなかった。光忠の耳に届いたのは大地と蹄の擦れる音、先駆けて戦う二人の刀の触れる音のみ。返事はないが、大倶利伽羅はあまり声を張り上げることはしない。聞こえなかっただけだろう。
 ——聞こえなかっただけなら、どれほど良かったか。
「光忠!」
 敵を押さえ逃がしたらしい鶴丸が振り返り、目を見開いて叫んだ。名前を呼ばれきっと周囲に目を走らせるが気配がない。
「どこ、」
 燭台切が呟くより早く、彼の右側から黒い影がぬわりと現れた。
 影に驚きを隠せないままそちらに目を遣ると明らかに自分より一回り、いや二回りは大きな検非違使がいた。槍? いや違う、大きすぎる。長柄槍だ、検非違使部隊の大将格で守りも固く一撃も重い、最も警戒すべき、敵。何故大倶利伽羅もいないのに、こいつがここにいるんだ。何故大倶利伽羅がいないんだ。そこまで考えられたのに体は何故か動かなかった。
 ああこれはやられる、と妙に明瞭な思考だけが理解していた。体が追い付かない。
 検非違使が、槍が、燭台切のからだを貫く。
 崩れ落ちる燭台切が見たものは長柄槍の脇を抜けたその向こうに、叱りつけるような、いっそ泣き出しそうな目でこちらを見ていた無傷の大倶利伽羅だった。

 ***

 結局隊長が重傷を負い、帰城を余儀なくされた部隊の戦果は当然無く、手入れ部屋で気まずそうに顔をゆがめた燭台切が見られただけだった。
 しかし度重なる失敗は信用に影響する。何刻にも及ぶ手入れを終えて出てきた燭台切を迎えたのは難しい顔をした鶴丸だった。彼が低い声で伝えたのは二軍解体の命と、大倶利伽羅の処遇について。
 曰く、燭台切ら二軍はひとまず合戦を離れ明日から遠征や手合せを主として行う、ということだ。こうして親交を深め、連携を取れということだろう。
 ただし、今回単独行動を取った大倶利伽羅は一度刀を握ること一切から距離を置かせることも決まった。部隊からも任を解き、演練はおろか遠征にも出させない。戦うことへの意欲、部隊復帰への意志があるのならこの期間に頭を冷やして反省しろといった意味か。
「ま、今の俺たちは戦力にならんと言われてるんだろうが、この処遇はまだ期待されてるってことで良いだろう。倶利伽羅が拗ねきっちまわねえかだけが心配だな」
 まるで気にするなと付け足したその声は妙に明るく、燭台切もそうだね、と努めて明るい声色で返した。
 燭台切のいた期間とはずれるが、鶴丸も大倶利伽羅と伊達で共に過ごした仲だ。作られて年の浅い大倶利伽羅を想う鶴丸の気持ちは燭台切にも判る。明るく言いはしたが鶴丸も大倶利伽羅を気にかけているのだ。
「倶利ちゃんが今どこにいるか知ってる?」
「厩の方に独りで入っていったのは見たな。まだ出てきてないと思うぞ」
 そしてこの返しということは、大倶利伽羅のことは自分に任せると言っているのだろう。
「ありがとう、少し見てくるよ。じゃあ明日からもよろしくね」
 燭台切は鶴丸に礼をするように軽く手を上げると鶴丸もひらひらと手を振って応えた。大丈夫、と胸の内に囁きながら、すっかり緑に染まった桜の樹に見守られ、馬小屋の方へと走る。

 馬小屋を覗くと、鶴丸の言った通り大倶利伽羅はそこにいた。馬の首筋をするりと撫でて、意志を通わせるように目を閉じる。生き物にはやさしい子だった。そのことを燭台切は微笑ましく思いつつも、納得のいかないことがある。
「大倶利伽羅」
 名前を呼んでみるとびくりと体をこわばらせ、目を開いて信じられないといった様子でこちらを見つめる。はぁ、とため息をひとつついて側に近寄れば大きく息をひとつ吐きつつ顔をそむけた。そうして差し出された、太刀にしては小さな大倶利伽羅のうなじを見下ろす。
「……倶利ちゃん、今日のことだけど」
 名前を呼び変えてみても変わらず顔を上げない。
「どうして僕から離れたの、何があったの。どうしてあんなことしたのか教えてくれ」
 やはり返事さえ、ない。頑なな子でもあった、と燭台切は思い出す。一度心を許せばあんな穏やかな顔をするくせに、そう、あんな穏やかな顔を過去は向けていてくれたのにここのところ目さえ合わせてくれない。
 燭台切と大倶利伽羅が伊達にいた期間は長い刃生のうちのほんの数年のことだ。しかし、伊達に来たばかりで右も左もわからぬ様子の大倶利伽羅にそこでの生き方を教えたのは燭台切だ。あの時は燭台切も懐かれていたはずだった。
 仕方ない、とも思う。人が変わるように、刀も変わる。大太刀は磨り上げられて太刀になるし、震災で焼けてしまうこともある。同じ信頼を得続けることの方が難しいのだろう。今回の件はそこを慢心した自分がいけなかったのだ。けれど、けれど。
 納得できない。納得したくない、と言うべきだろうか。どうして僕への信頼を解いたのか、判らない。判らないのに納得など出来ない。
 どうせ返事がないことをわかっていながら燭台切は続ける。
「どうして僕から離れたのかは、君にも考えがあるんだろう? 言わないのなら無理には聞かないでおくけど、あの行動が正しかったとは僕は思わないよ」
 僕は間違っているかい、と尋ねてみるが大倶利伽羅に反応はない。俯いたまま、静かな呼吸の音がするだけだ。
 何が大丈夫だ、と燭台切は思う。昔馴染みにさえ意志が届かない。それどころか何を思っているのかさえ判らない。無口な子で、昔から信頼されてなんて様だ。ああ、格好悪い。
 相手に話す意志がないというのに無理に詰め寄るのは間違いだろう。今すぐにでも肩を掴んででもこちらを向かせたい思いをぐっとこらえ、努めて穏やかな声色で話す。
「君が話したくないなら、本当に僕は聞かない。それで良いだろう?」
 しばらく待ったが無言の間が流れただけだった。大倶利伽羅は顔を上げない。
 はぁあ、と燭台切は大仰なため息を吐いて、何も言わず踵を返して外に出た。鶴丸に、他の隊員になんと説明したものか。
 大倶利伽羅の追いかけてくる気配もないことに、また燭台切はため息を吐く。

 あの、とか細い声が聞こえた気がしてそちらを見ると、厩につながる心配そうに五虎退が見上げていた。虎をなだめたいのかなんとか腕に抱いてはいるが、肝心の虎はどうしてか必死で暴れている。
「あ、あの、僕、燭台切さんがお怪我をしたって聞いてここまで追ってきたんですけど、これ、……あっ」
 五虎退が胸元をがさごそといじると菊をぎゅっとすぼめて小さくしたような形の白い花が現れた。しかし虎がそれを奪ってしまう。虎は草を食う生き物ではないから、きっと五虎退と一緒にじゃれているつもりなのだろう。
 だめ、それは燭台切さんに、などと泣き出しそうになりがら取り返そうと躍起になっている五虎退の頭にぽんっと手を遣って、燭台切は微笑む。
「ありがとう。気持ちだけで十分だよ。それはなんていう花なのかな? 見たことがないけど」
 うう、と涙を飲みながら五虎退は答える。
「あの、白詰草、というらしいです。蘭の国からもたらされて、明治以降にこの日ノ本に帰化したのだと、聞いています、本丸にも咲いていて、その、みんなでこれを冠のように繋ぐのが楽し、くて、その……」
 徐々に尻すぼみになっていく五虎退の声に、燭台切はそっと目を細めた。すっくとしゃがんで視線を合わせ、繰り返し頭を撫でる。そうしながら何故か燭台切は、腹の奥にぐるりととぐろを巻くような、ぬちゃりとへばりつくような後ろ暗い感情がたまっていくのを感じていた。
 花をもらえたことは嬉しかった。それが虎に奪われてしまったことも格好は悪いが五虎退ならば愛らしい。ならばこの叫び出したいほどの感情は、なんだ。
「あ、あの、燭台切さん」
「なんだい?」
 優しく、優しくと念じながら出した声は思ったよりも落ち着いていて、なんとか格好がついたことに安堵しつつも、気持ちは収まらない。
「厩で話しているのが聞こえてしまって、あの、大倶利伽羅さんも、どこかご加減が思わしくないようでしたけど、大丈夫ですか」
 見上げる五虎退の顔は純粋に心配するだけのようであったが、燭台切はそれを見て感情に気付く。——苛立たしい。
「うーん……今は少し時を待とうか」
 そうしたら花でも渡してあげてよ、とそっと付け足すと五虎退はそうですねと眉尻を下げて応えた。
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